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砂色世界の救命師【2】

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 いた。
 偶然といえば偶然だが、こいつとはどうやら腐れ縁があるらしい。砂嵐の中、一軒の家に、やつが入っていくのが見えた。多分、また助かる患者を殺しに行ったんだろう。すぐ近くでそんな人間を殺されるのは、生かす医者として放ってはおけない。
「お願いします、先生……」
 年配の女性の声。無駄に手っ取り早いやつだ。俺は衝動的にドアを開け放っていた。声の主の、やはり年配の女性が少し驚いたように俺を見ている。こっちに背を向けていたやつは、振り返ってやはり目をむいた。
「っ、ユウシ!?」
「十日も経たないうちに再会たあ、ずいぶんとめずらしいな。また殺しか」
「ふん、お前には関係ない」
 少し歩を進めると、やつの前にはベッドに横になっている、女性と同じくらいの年齢に見える男がいた。多分、この男が患者だろう。いや、被害者か?
「ところが関係なくはないんだなあ。偶然にしろ、俺は生かす医者だ。目の前に命を絶たれそうな人間がいて、黙ってると思うか?」
「俺の仕事を横取りする気か」
「それで命が助かるんなら、そうするね」
 いつもよりも低い声で言われて、少し驚いたが顔には出さない。気づかれないよう、普段どおりに軽くあしらった。
「奥さん、ちょっと体を見てもいいですか?」
「え? ……あ、ええ、どうぞ……」
 俺がどういう人間なのかは知らないらしい。もし俺が殺人者でも、いずれ死ぬ運命だからと、旦那に近づくのを許すだろう。まあ、俺は殺人者じゃないが。
 俺は眠っている男の腹を見た。……これか。
「スラナ、とりあえずは診察ぐらいしたんだろう? 病気は何だい」
「現役の医者が何を言う。……肝硬変だ。見てのとおり腹はふくれ、静脈が浮き出ている。ガンになっている可能性もある。どちらにしろ、手術はひつよ……」
 やつが慌てて口を押さえるのを、俺は見逃さなかった。つい笑声が漏れる。
「ははっ、スラナ、お前なんだかんだ言っといて、結局は助けたいんじゃないのか? 手術の話を持ってくるとは」
「お前がいるから昔の状況を思い出しただけだ……。今は意識はないが、その患者も安らかな死を願っていた。彼女もだ。俺は患者の意思を尊重するからな」
 まただ。
 こいつは患者の意思とかいうのを盾にして、いつも逃げる。意思を通してばかりいたら、医者の意味がない。助かったところで、新たな生きがいが見つかることだってある。
 とりあえず、俺は患者の服を元に戻し、後ろで腕を組んでいたやつを振り返った。視線に気づいたのか、半分伏せていた目がこちらを向く。
「スラナ。お前、逃げるな」
 やつの目に、訝しげな光が灯ったのがわかった。
「不完全な理由を押し付けたって、俺には効かん。俺はこの患者を手術で治す。お前にも手伝ってもらいたい」
「なん……だと? 貴様、俺の仕事を本気で奪う気か?」
 あ、本気で怒った。腕を解いて、こちらに詰め寄ってくる。
「この男は死を望んだんだ。病に苦しみたくないというのもあるが、生きがいというものが見つからなかったのも理由の一つだ! それなのに生かして、そのあとどう生きろというんだ!」
「俺はそうは思わないね! 命を助けられた患者には、また違った視点で世界を見る事ができるようになるやつもいる。そうなれば、生きがいが見つかるかもしれない。俺はそれに賭ける」
 しばらく沈黙が続いた。俺がにらんでるやつの目の色は、俺と同じ黒だということを、俺はガキの頃から知っている。
「…………わかった。手伝ってやる」
 観念したような、諦めも混じった声だった。本当にこいつが純粋な死なせる医者だったら、折れはしなかっただろう。
「よし、じゃあ早速始めるか」
「おい、お前ここでやる気か? いや、その前に器具は……」
 俺はやつの言葉を遮るように、小さな物体をかかげて見せた。
「何だ? それは」
「手術室呼び出し機」
 笑って言ったが、やつにはさっぱりわからないらしい。
「まあ見てろって。ここいらは砂嵐がひどいから、あんまり動かさないようにしてるんだ。だけどこういう緊急時には仕方ねえ」
 俺は、手に持った物体にあるボタンのひとつを押した。小さく機械音。
「手術室が来るのか?」
「まあそんなとこ」
 しばらくして、小さな異変に気づいたのはやつだった。
「……ユウシ、何か変な音がするぞ。砂嵐の音に混じって」
「ほお、やっぱりここいらでの生活が長いやつは違うな。俺にはさっぱりわからん」
 言いながら、俺は戸口に向かった。二人で外に出ると、ちょうど真正面から影が迫ってくるのが見えた。
「よし、そろそろだな」
 その影の正体がはっきりと確認できる位置で、俺は再度ボタンを押した。影――――大型のトラックは、俺たちの数メートル手前で止まった。
「これは……」
 呆けたように、やつはトラックを見ている。
「懐かしいだろ。病院まで患者を運ぶのとはまた違う、緊急手術用のトラックだ」
 医者たちがどんどん患者を死なせる道に走っていた頃、どうせ使わないからと譲り受けたものだ。病院らしい病院もほとんどない中、俺が人を生かすことができているのは、こいつのおかげもある。
「スラナ、俺はトラックの後部を玄関に近づけるから、お前は患者を運んでくれ。病人を砂嵐に当てて、いいことなんてないからな」
 言って、俺は運転席に乗り込んだ。やつはうなずいて、家へと戻っていく。俺はトラックを逆向きにして、後部のドアが家の入り口にぶつからない程度の距離まで、トラックを近づけた。
「よし、入れろ」
 患者を抱えて来たやつを見て、俺はドアを開けた。トラックの荷台に当たる部分が、全て簡易手術室になっているトラックだ。中央に据えられた手術台に患者を乗せてから、やつは中を見回した。
「そんなに懐かしいかよ」
「ああ……。自分が今の医者だということを忘れそうだ」
「いっそのこと忘れちまえよ」
 またにらまれるのは予想済みだったので、俺はすぐに背を向けた。そしてこの患者の妻だろう女性に、説明をすることにした。
「奥さん、突然で本当に悪いんですが、これから旦那さんを手術します」
「しゅ、じゅつ……。助かるんですか?」
 今の女性の“助かる”という言葉の意味は、生きられるかどうかということだろう。
「助けるつもりです。……保証はできませんが」
 保証できるんだったら、患者はみんな生きてる。
「ただ、全力は尽くします」
 保証などできない。けれど、全力を尽くして救おうとしていることだけは伝えたい。
「それでは」
 手術室に乗り、俺は扉を閉めた。


「始めるか……。スラナ、刃先を俺に向けて渡すなんてことはするなよ。いくら長い間手術に立ち会ってないからって」
「そんなヘマするか」
 あんまり緊張されても困るから、こうやって少しほぐしておいたほうがいい。別にやつを信じてないわけじゃないが。
「じゃあ頼むよ。患者は五十代男性。肝硬変から肝がんに進展している可能性がある。どちらにしろ肝臓切除術になるだろう。術式開始。スラナ、メス一本」
「随分とてきとうだな。年齢は見た目、手術方法も、何だその言い方は。いちいち言わなくてもいいだろう、俺しかいないんだから。それに、メスを一度に二本も使うやつがあるか」
「今の医者にとやかく言われたくないよ。歳は聞いてないんだから仕方ないだろう。堅苦しい手術宣言なんか忘れた。それでも言っとかないと完全に忘れそうだからな。“メス一本”はおふざけだよ。ほら、メス」
 やつは渋々といった感じで、俺にメスを渡した。皮膚に赤い筋が走るのを、やつはじっと見ている。
「やってみるか?」
「いや、いい。俺がやったら失敗しそうだ」
「失敗したっていいんだろう? お前は殺す気だったんだから」
 少し嫌味を含めて言ってやった。
「俺は……こういう形で死なせるのは好きじゃない」
「お前の好みの問題かよ。まあいい。鉗子」
 ……見えた。色としてはまともなほうだ。お目当ての病巣は、すぐ見つかった。
「やっぱりガン化してる。大きさは……ぎりぎりってとこだな。この程度なら、肝機能が弱っていたとしてもなんとかなる。よし、腸鉗子」
 かなり弱っているように見える患者だが、今のところ心拍数に問題はない。この調子なら助かる。もしどこかに転移していたとしても、生き長らえることができるのは確実だ。
「電気メス。これで……助かる」
 ガンの部分を、大きめに切り取る。切り取った病巣を、やつはしばらく見ていた。
「なんだ、ガン細胞がそんなにかわいそうか」
「いや、別に……」
 一通りの手術は終了だ。あとは閉腹して…………終わり。
「ふうっ……。これで……」
 縫い合わせていた糸を、切ったその時だった。
 規則的なそれに代わり、電子音が一直線に鳴り響いた。
「なっ……!」
 反射的に顔をあげる。同じ形の山を何個も作っていた白い線が、今はなだらかな平野を成していた。
「ユウシ、心臓が止まったぞ!」
「んなこと言われなくてもわかってる! くそっ……」
 この緊急用手術室は、大方の器具は揃っている。だが、電気ショックがないのが大きな欠点だった。こうなったら、心臓マッサージをするしかない。こうな状況になったのは何年ぶり…………いや、なかったかもしれない。手術が成功した途端に、心臓が止まるなんて。
「スラナ、酸素吸入器を!」
 俺が叫ぶと、やつはすぐに行動した。やはり昔の医者だっただけはある。俺は休まずマッサージを続けながら、思った。
 なぜだ? 俺は腹を開き、腫瘍を取り除いただけだ。呼吸に関することには何一つ手を出していない。それなのになぜ心臓が止まった?
 いまだに、線も音も変化はない。手術のときにさえ出なかった汗が、目にしみた。
「…………」
 その汗のせいでぼやけてはいたが、やつが俺の反対側にいて、そして患者に何かを注射しているのが見えた。
「……ユウシ」
 どのぐらいたったんだろうか。俺は手の疲労を全く感じていなかった。まるで何か別の部分かのように、腕は心臓マッサージを続けていた。
「もうやめろ。患者は死んだ」
「お前は諦めが早いんだよ! まだ望みは……」
「心臓マッサージを始めて、何分、いや、何十分経ったと思ってる? いくらなんでも、ここまできたらもう蘇生はありえない」
 何十分経ったかなんて、俺にはわからなかった。やつが俺の腕を掴んでいなければ、ほぼ機械的に動いていた腕は止まらなかっただろう。
「どうして……心臓が止まったんだろうな」
 マスクを取って、俺は大きく息を吐いた。横に垂らした腕に、今頃疲れが伝わってきた。
「この世界の人間は、昔の医者にしか治せない病気に陥ったとき、生きる気力をなくす。この患者は、もう生きたくないと思っていた。その強い感情が、生き長らえさせるという行為に反発したのかもな。人の想いってのは強いもんだ。自身の願いどおりにするために、心臓を止めることを選んだ……っていうのは考えすぎか?」
「科学的根拠がゼロだな」
 そう言ってはおいたが、今まで健康そのものだった心臓が、突然機能を停止することに、科学的根拠を見い出すこと自体難しい。そう思うと、やつのいうことが本当のように感じた。
「お前が納得するように言えば、この患者は寿命だったんだ、きっと。そのほうがお前にとってはしっくりくるだろう?」
「まあ、な……」
 俺は、この世界の人間に避けられているのだろうか。自分が正しいと思っていても、世の流れに逆らうことは、やはりだめなのか。
 俺は、患者の顔に布をかぶせた。なぜか、とても安らかな表情に見えた。
 生から開放されたことを、喜んでいるかのように。


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