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砂色世界の救命師【1】

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「仕事……? 兄さん」
「ああ、仕事だ。そんなにかからないはずだから、すぐ帰ってくる」
 上着を肩に背負って、兄さんは扉を開けた。そこから入ってきた風のおかげで、兄さんの肩に触れる、くすんだ茶の髪が、少しだけなびいた。
「今度の人……死にたいって言ってるの? 病気は治せないの?」
「死にたいと言ってる。病気は……わからん。だが俺は患者の意思を尊重したいからな」
 風に混じって地面の砂も吹き荒れる中、兄さんは上着を羽織りながら、黄土色のもやの中に消えた。
 兄さんの仕事はこの世の理にかなってる。でも、本当にそれだけなのかな……。


 兄さんが出かけてまもなく、珍しくお客さんが来た。しかも知らない人だ。
「スラナ先生はいるかい?」
 僕はその人を見上げた。兄さんと同じくらいの背だ。この砂嵐に慣れてない人なんだろうか、体は砂より少し濃い色のマントで覆われている。薄手の長い布で口元を覆って、フードもかぶってる。そういう格好なので、顔は全然見えなかった。
「今は出かけてていません。すぐ帰ってくると思いますけど」
「そうか。じゃあ中で待っててもいいかな?」
「え、ええ。かまいませんけど……」
 声からして、やっぱり兄さんと同じくらいの年齢なのかな。大きめのテーブルの周りに置いてる椅子の一つに、その人は座った。座ってから、やっと口元の布と、フードを取った。
「ふう……。ここいらの砂嵐は本当にひどいな。君はスラナの助手かい?」
 黒髪の男の人だった。片側だけ少し前髪が長い。頬杖をつきながら、その人は僕に聞いた。
「いえ、弟です。あの……あなたは兄さんと親しいんですか?」
「なんで?」
「だって、兄さんのことを名前だけで呼んだんで……」
 初対面なのにぶしつけな質問だったと、言ってから思った。僕が子供だったからなのか、笑顔だったその顔から感情が消えた。
「親し……いのかな。よくわからん仲だ。…………君、名前は?」
「サシです。あの、お茶でもお出ししますか?」
「くれるのかい? じゃあもらおう」
 僕は席を立って、すぐそこの岩の壁をくりぬいただけの戸棚から、茶葉を取り出した。自分も飲むから、カップは二つ。
「君は……兄さんがどんな仕事をしてるかって、知ってるんだろう?」
「ええ」
 カップにお湯を注ぐ音が止まってから、男の人はまた質問をした。
「それがおかしいと思ったことはあるかい?」
 心を見透かされたような気がした。つい、お茶を注ごうとした手が止まった。こういうときだけ、僕に向けられっぱなしだった視線が痛く感じる。
「……ありませんよ。だって兄さんの仕事は、この世で求められているものでしょう?」
「確かに、な……」
 僕が置いたカップを見ながら、男の人は呟いた。
「人が死ぬのは当然のこと。人によっては、それで苦しむこともある。その苦しみを取り除いてやるのが兄さんの仕事です。僕は誇りに思ってますよ」
「いいやつだな、君は。きっと、俺みたいな外れ者にはならないだろう」
 ついたままだった頬杖を外し、男の人はカップに口をつけた。
「外れ者……? あなたは何をやってらっしゃる人なんですか?」
「聞きたいかい?」
「え、ええ」
 男の人が少し笑い、何かを言おうとしたちょうどその時だった。
「帰ったぞ、サシ。すまんな、砂嵐がいつもよりひどくなって遅れた」
 確かにいつもよりうるさい風の音と共に、ドアが開いて兄さんが入ってきた。黒に近い紺色の上着から、砂がたくさん落ちた。
「この分だと、かなり長くなりそうだ…………」
 言いながら、兄さんはやっと顔をあげた。僕より先に、男の人のほうに気付いた。兄さんの顔が、少し険しくなったように見えた。
「遅かったな、スラナ。人一人殺すのにそんなにかかるのか?」
「砂嵐で遅れたと言ったばかりだろう。それよりユウシ、貴様俺の弟に何の用だ」
 今度こそ、兄さんは男の人を嫌ってる態度を隠そうとしなかった。男の人はユウシって名前なんだ。
「お前の弟に用なんかないよ。大体今日初めて存在を知ったんだ。用があるのはスラナ、お前だけだ」
「あの……」
 なんだか雰囲気が険悪になってきた。それがものすごくいやだったわけじゃないけど、じっとしてるのはいやだった。
「どうした、サシ」
 震えた声になってたかもしれない。それを感じたのか、兄さんはすぐ振り返ってくれた。
「お茶、飲んじゃいましたよね、えっと……ユウシ……さん? 片付けますよ」
「ん? ああ。じゃ、お願いするよ」
 ユウシさんは最初に見せた笑顔と共に、カップを僕のほうに置いてくれた。僕は自分の分も持って、台所に走った。少し遠いけど、会話は聞こえる。
「……それで、何の用なんだ」
 がたんと音がした。兄さんが椅子を引いて、そこに座ったんだ。
「今さらだけど、お前ホントにこの仕事続ける気か? 今なら戻れるぞ」
「俺がこの道に入ってもう二年だ。それにお前のいる場所は、すでに影になってる。そんなところへ戻れるものか」
 影? あのユウシって人は、悪い人?
「だが昔は光だった!」
 突然怒号が響いたので、僕は一瞬震えた。
「希望だった行為が、なぜ今忌み嫌われるのかわからん。スラナ、お前もどうしてあの時、影の道なんかに入った」
「……何度も言ったろう。死から救って……何の意味がある。この世界の人間は生に執着しない。救われた後に来る負のことばかり考えて、ほとんどの人間は自ら命を絶つ……。そんな生きようともしない人間を助けて、馬鹿だったんだ俺たちは!」
「勝手に複数形にするな。俺はお前とは違ってな、何があろうと信念は曲げん。確かにこの世界の人間は馬鹿さ。だけどそれは全部じゃない。生きようとしてるやつを、俺は何度も見てきた。お前だって見たはずだ。お前が今やってることは、この馬鹿な人間どもの手伝いだぞ?」
 死から救う? 人を救うのは、安らかな死じゃなかったの? 確かに昔と今では、救うことの定義が変わったって、兄さんから聞いてたけど……。
「諦めたのさ、俺は。だからこの世の今の流れに逆らわない、この道に変えた」
「……どうやら無駄らしいな」
 呆れたような大きなため息と一緒に、立ち上がる音がした。ユウシさんのほうだ。
「だが忘れんなよ。お前のやってることは人殺しの手伝いだ! いや、殺しそのものだね! 死から救う方法を知りながら、それを施さない。お前は何十人人を見殺しにしてきた!」
 手が震えた。兄さんのことをここまでひどく言うなんて。
「サシ!」
 僕は走っていた。突然出てきた僕に、兄さんは驚いたように振り向いた。椅子から立ち上がっていたユウシさんの前に立ち、真正面から見上げて、僕は叫んだ。
「ユウシさん! 兄さんのことをそんなふうに言わないでください! どうしてそんなに責めるんですか? 兄さんは人を救う、一番の仕事をしてるのに! あなた、自分で自分のこと外れ者って言ってましたよね。影の人とも言ってました。なら兄さんの、今求められてる大事な仕事に口を出さないでください! 兄さんを悪い人なんかに……!」
 まともな息継ぎもしないで、僕はまくし立てていた。ユウシさんの驚いた顔が、かすんで見える。長距離でも走ったときみたいに、息が荒い。胸が……痛い…………
「サシ! 落ち着け、もう話すな!」
 自分が倒れかけたんだとわかった。一瞬記憶が飛んでいた。後ろに兄さんがいて、僕を支えてくれている。
「お前自分の体のこと忘れたのか? そんなに叫んだり怒ったりしたら……」
 ……そうだった。僕の体は普通の人とは違う。長く走ったり動いたり、今みたいに感情的になると、危ないんだった。
「ごめん……兄さん。つい……」
 まだ少し苦しい。目も開いてるはずなのに、視界がはっきりしない。痛みか、兄さんを侮辱されたから、涙が出てぼやけてるのかな。自分でも泣いてるかどうかはわからなかったけど、なんとなく腕で目をこすった。
「……ここはひとまず帰るとするか。俺がお前の職業について話すと、どうも弟さんが許さないらしい。だがスラナ」
 ユウシさんが立ち上がって、僕と兄さんの横を通り過ぎていく。兄さんは僕を支えた姿勢のまま、首だけをユウシさんに向けた。僕はまだ意識がはっきりしていないから、声だけを聞いていた。
「昔の医者のよしみで言っておく。人を救う道は……医者としての道は、一つじゃない。それを忘れるな」
 強い風が入ってきた。開けられた戸が閉まり、ユウシさんの気配は消えた。


「兄さん……。あの人も医者なの?」
「ああ」
 返事のあとに、あくびが聞こえた。
「昔からの医者さ……。あいつが本当の医者だ」
「え? じゃあ兄さんは何の医者なの?」
 不思議な言葉に、僕は寝返りをうって兄さんのほうを向いた。枕側にある窓からの月明かりで、部屋は真っ暗じゃない。兄さんの影だけが見える。
「俺は、新たに生まれた種類の医者だ。昔の医者はみんなあいつみたいだった」
「兄さんの今の仕事と同じようなことするの?」
 兄さんが、大きく息を吐いた。
「いいや、全然違う。昔の医者は病気を治す医者だった」
「え……どうやって?」
 治せる病気があるのは知ってる。でも、そういうのは医者じゃなくても治せるものだ。
「メス……ってのがあってな。…………はは、懐かしい名前だ。まあ、小さいナイフみたいなもんだ。患者を眠らせて、そのメスで病気の元がある部分を切るんだ」
「切る……? 体を切るの!?」
 僕は本当に驚いた。患者を切る? それじゃあ、よけい悪くなっちゃうじゃないか。
「ああ。そして体の中にある、腫瘍だったりなんだりを切り取るんだ。そうすると患者の病気は治る」
「でも、そんなのひどいじゃないか! なんともない部分も切るんでしょ? 人を切るなんて殺人だ!」
 僕には考えられない。余計なところを傷つけられてまで助かるなんて。
「サシ、患者はその間痛みを感じないんだぞ? 体を切るったって、そういう傷はすぐ治る。医者はそういった手術で、患者の命を延ばしてきていた……」
「え、シュジュツ?」
 聞いた事のない言葉だ。
「ああ、サシは知らないんだったな。そのメスとか、そのほかの器具を使って人の病気を治す行為のことを、手術って言うんだ。もうその手術をする医者はほとんどいない。俺が知ってる限りでは、あのユウシだけだ」
「あの人が……。…………ねえ、あの人“昔の医者のよしみで”って言ってたけど、あれはどういうこと?」
 しばらくの沈黙の後、兄さんが口を開いた。
「わからないか? サシ……。俺も昔は、その手術をする医者だったのさ。だが、この世界の人間は、手術までして生き長らえたくないっていうのが五万といる。そんな人間に、俺は諦めたのさ。生きることを望まない人間を生かして、何になるんだ……ってね」
「…………」
 兄さんが元“昔の医者”だということを、僕は初めて知った。でも、この世界の人間がそういう人たちばかりだなんてことも、初めて知った。
「だがやつは……ユウシは諦めていない。ごくわずかにいる、生きたいと願っている人間たちを、手術で救い続けている。やつのいる場所は、現在では避けられる場所だ。人間を無理に生かそうとする、悪者に見られている。それでもやつはやめないんだ。命を延ばし、少しでも長く生きることが、本当に人間が求めていることなんだと。たとえ意味がなかったとしても、生きたいと願うのが、人間の本来の姿なんだ……。そう言ってたっけな。いつだったか」
「そう、なのかな……」
 もしかしたら、それが本当なのかも。それが当たり前だという環境で育っていないから、僕には異質に見えるだけなのかもしれない。手術に頼らなければ生きられないとき、僕たちは躊躇なく死を選んでる。静かな死を。そんな世の中でも、生きたいと言う人はやっぱりいるんだ。
「ねえ、兄さんは今でも手術ができるの? 器具がそろってれば」
「どうだろうな……。ほとんどが研修医の時の手術だからな。…………やっぱり無理だ。頼れる助手がいれば別だが、そうでない助手がいたり、一人だったら、絶対患者を殺しちまう」
 自嘲気味に小さく笑って、兄さんは僕に背を向けた。話は終わりだというサインだ。僕も兄さんに背を向けて、目を閉じた。


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