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ほら穴の彼【2】

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「……すいませーん」
「?」
 暗闇の中で、男は顔を上げた。しかしれいには何も見えない。とりあえず自分がいることを知らせて、れいは崖を降りた。
「あの……ここ、はしごかけてもいいですか? いちいち登るの大変なんで」
「…………お前、ここに通う気か?」
 馬鹿な女だとでも言いたげな口調だった。
「本っ当に邪魔なら、やめますけど……。だって大変でしょう? 食料とかどうしてるんです? お金あります?」
「食料なら十分すぎるほど持ち込んである」
「でもずっと住むんなら尽きるでしょう? 何かあったら、買ってきますよ」
「浮浪者如きに金を出すのか?」
「浮浪者だからってわけじゃなくて、ただ心配なんです。何持ってるんですか? 今は」
 返事はなかった。いや、言葉による返事がなかっただけで、暗闇から物体が一つ、投げてよこされた。調度足元に落ちたそれを、れいは拾い上げて外からの光にかざした。
「え……、か、カロリーメィ……」
 あまりの衝撃に、れいの言葉は急激に上がったかと思うと、一気に落ち込んだ。食べ続けると病気になる食品でも見たように、顔をしかめながら。
「持ち込んであるって……、まさかこればっかりですか?」
「馬鹿言え」
 相変わらず跳ねつけるような調子だったが、れいはとりあえず安心した。
「俺がそのチーズ味だけ持ち込んでるとでも思ったか? 他の味も全部あるから、十分なんだよ」
 れいは、つい持っていた箱を取り落とした。この浮浪者、故意にボケているのか。
「あのですね……。ぜんっぜん十分じゃないです! こんな栄養補助食品ばっか食べてたら、いくら男の人だからって持ちません! 買ってきてよかった」
「何をだ」
「食べ物に決まってるじゃないですか。おにぎりとサンドイッチ、それとお茶です。あ、見えないんで懐中電灯持ってっていいですか?」
「……勝手にしろ」
 飽きれたようだったが、棘はなかった。れいは片手にコンビニ袋、片手に小さめの懐中電灯を持つと、明かりをつけて奥に進んだ。十歩ほど進んだところで、足が見えた。ぼろぼろのスニーカーだ。その足を照らすように、れいは懐中電灯を地面に置き、しゃがんで袋をあさった。
「えっと……」
 おにぎりを一つ取り出したところで、電灯を取って味を確認した。また同じ位置に戻して、れいは男に話しかけた。
「シーチキンマヨネーズ、食べられます?」
「味はなんでもいい」
 またそっけない返事だった。れいは気にせず、包装をとって、まだ暗闇に染まる相手の胸元辺りに、腕を伸ばした。思いのほか、手の海苔の感触は、ゆっくりと消えた。
「お茶も開けますね」
 海苔が噛み切られる歯切れのいい音が、洞窟に響いた。れいがペットボトルを開ける音も、妙に大きく聞こえた。
「えっと……」
 開けたボトルをどこに置こうかと少し見回したとき、ふとボトルが握られた。ついでその指もれいの手に触れたので、驚いて手を緩めた。指は少し冷たかった。
「み、見えるんですか?」
「とっくに暗闇に慣れているからな。放していい。見えないんだろう」
「はい」
 ボトルが地面に置かれる小さな音と一緒に、また海苔が裂かれる音もした。
「えーとあとは……、鮭ありますよ。あとサンドイッチはハムとレタスのやつと、あと……、あ、またシーチキンだ。よく見て買ってくればよかった……」
「おい」
「はい?」
 れいはまた袋をあさっていたので、顔を上げて返事をした。相手は見えないので、声のしたほうを見て。
「お前、浮浪者の、しかも男のそばにいて怖くないのか?」
「いえ、別に……」
 れいは、突き刺さる視線が男のものでなく、目の前に広がる黒そのものの視線であるような気がした。
「……でも、言われてみると少し怖いかもしれませんね」
 男の言葉のおかげで急速に広がり始めた恐怖感を、れいは作り笑顔で己からも隠した。
「ふん」
 その取ってつけたような笑みが、気に食わなかったらしい。一つ鼻で無愛想に笑うと、れいの足元を照らしていた光が消えた。
「あ」
 れい自身飽きれるような、間の抜けた声だった。今まであった光が消えた直後が、一番見えにくくなる時だ。サンドイッチの包装を取ろうとしていたれいは、そのままの格好で動きを止めた。
「俗に言う浮浪者だったら、こうしたあと何をする?」
 れいは答えなかった。自分が動けなくなったのではなく、周りの空気が、れいを包んだまま固まってしまったようだった。だがそれは、相手も同じようだった。自分のものでなく、相手の動く気配ぐらいあってもいいはずなのに、この空間はまったくの無音だ。
「……あの、あなたの立場がよけい悪くなります」
「うまく逃げたな」
 男は、また鼻で笑った。それを合図に、再び明かりが灯った。
「わざわざ開けなくてもいい。俺は寝たきり患者じゃないんだ。そこに放っておけ」
「あ、そうですね。じゃあ、置いておきます」
 コンビニの袋を男の足の近くに置くと、ばらばらに散らばった箱を、三、四個れいは拾った。
「それは俺の食料だぞ」
「でも、余計ですよ。少しはまともなもの食べてください。これは預かっておきますから」
「泥棒が」
「預かるって言ったじゃないですか」
 男はあとは何も言わなかった。そのやりとりがれいは少しおもしろくて、笑顔になった。

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「和風にイタリアンにゴマ、ありますけど、どれがいいですか?」
「そんなものどれでもいい」
「そういう性格はあまり好かれませんよ。ちゃんと選んでください」
「……ゴマ」
 さっさとしろと言わんばかりの勢いに負けず、れいは言った。男はそれに呆れたように答える。
「サンドイッチに野菜あることはありますけど、少ないですからね。はい、どうぞ。割り箸割ってありますよ」
 れいは、今回男のためにサラダを買ってきたのだ。初めて食べ物を渡しに、このほら穴に来るようになってから、もう二週間以上が経った。もちろん毎日通っているわけではないが、休日は必ず寄っている。
「ここに来るまで、見つかったりしないのか?」
「ありませんよ。車が増えるのはもう少し経ってからだし、人もあんまりいませんから」
 答えてから、れいはふと気付いて男に質問した。
「あの、心配してるんですか? あたしのこと」
「お前が出入りしてるのが見つかったら、噂が本当だってばれて、ここを追われるかもしれないからな」
 間髪入れず、跳ねつけるように男は言った。
「そ、うですね……。じゃあ、これからは今以上に気をつけて来ます!」
「…………」
 黙りこんだ男から、れいは唖然としているような雰囲気を受けた。
「あの、どうしたんですか?」
「お前な、普通はもうやめるとか言うだろう。なんで逆に来たがるんだ?」
「だって、心配だからって言ったじゃないですか。あ、あれ全部食べました? なくなってたら、預かってた分少しお返ししますけど」
「……変わったやつだ」
 男は呟き、サラダを食べ始めた。


「れいおねーちゃん!」
 ほら穴を出て数歩歩いたとき、突然横から声がした。あまりに唐突だったので、れいは怒鳴られでもしたかのように石のように固まった。
「どうしたの?」
「あ、諒斗君か……。びっくりしたあ」
「あれ、れいお姉ちゃんそれ何?」
 近所の顔見知りである小学二年生の彼は、れいが提げているからっぽのコンビニ袋を見つけた。
「何にも入ってないけど、どうしたの?」
「え? ああ、これね……」
 まさか本当のことを言うわけにはいかない。必死で頭をフル回転させ、怪しまれるほどの間を作らず、れいは答えた。
「ほら穴の近くにね、ゴミがいっぱい捨てられてるの。もちろんお姉ちゃんだって、立入禁止だから穴の中には入ってないよ。でも人が近づかないと思って、あの辺はゴミだらけなの」
 実際、ほら穴付近にはゴミが散乱している。れい自身も、時々拾って帰るのだ。
「そうなんだー。れいお姉ちゃんえらいね!」
「そう? 諒斗君に言ってもらえると嬉しいなあ。さ、あたしも帰るから、一緒に帰ろっか」
「うん!」
 草むらを抜け歩道に出ると、知らない男性が信号待ちをしていた。季節外れのキャンプ客だろうか、とれいは思ったが、男性は二人を見つけると、気さくにあいさつをしてきた。
「こんにちは。ご兄弟ですか?」
「いえ、近所のお友達なんです。……あの、キャンプにいらしてるんですか?」
「ここの町の者です。と言っても、つい最近ですが」
 れいの記憶では、最近家が建ったということは聞いていない。
「ああ、私、あそこの家の者なんです」
 そう言って男性が指したのは、岩壁の奥にそびえる豪邸だった。
「え、あそこの……! じゃあ、例の会社の社長だか誰だかっていうのは、あなたが?」
「そんなとこです。社長じゃなくて、社長の息子ですけど」
「で、でも次期社長じゃないですか。そうですか、あそこの……」
「仕事の手伝いやらされて、あまり外に出られないんですよ。だから馴染めなくて」
 れいは納得した。てっきり、人付き合いが嫌いな人間なのだと思っていたからだ。
「豪邸の息子は、ここに溶け込めるよう努力してるって、町の人に言っておいてもらえませんか。みんなよそ者を見る目で見てくるので」
「わかりました、ちゃんと言っておきます」
 困ったようにれいに頼んだ男性は、歩道を渡った後に別れた。
 帰り道でも、れいの頭の中はいつほら穴に行こうかという考えでいっぱいだった。


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