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ほら穴の彼【1】

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「れい」
「ん、何?」
 自分の名を呼ばれて、ちょうど玄関から出るところだったその少女は、反射的に振り返った。長い髪が、少しだけ揺れる。
「大丈夫だとは思ってるが、あそこには近づくんじゃないぞ」
「……わかってるって」
 父に、れいは苦笑混じりで返事をした。
「大体あんなところに用なんかないよ。 それに噂にすぎないんだし。誰も見に行ったことないんでしょ?」
「だけど、用心は、しろ」
 柄にもなく一字一句強めて言う父に、れいは目を丸くした。れいが一人娘だということもあるだろうが、それにしても珍しいことだ。そんな父に抑えきれなくなった笑い声を漏らしながら、れいは外に出た。
「れい! あそこには行くなよ!」
 戸が閉まる前、この父の声のあとに、ため息が聞こえた。


「あ、こんにちは、れいちゃん」
「おばさん、こんにちはー。あ、その箱の整理やっておきますよ?」
「じゃあお願いできる? 最近ぼけてきたんだか、どこに何を置いたのか忘れるのが多くて」
 店に入ったとき、ちょうど店長の松木が大きなダンボールを抱えて、店の奥に持っていこうとするところだった。れいが声をかけたため、松木はゆっくりとそれを床に置いた。
「おばさん、謙遜しすぎ。ちょっと待っててください、今着替えてくるんで」
 レジ側にある店員用の扉を開け、自分のロッカーに荷物を詰めたあと、れいはこのコンビニのエプロンをつけた。
「じゃ、かたづけてきますね。そういえば、今日はお客さん来ましたか?」
 ダンボール箱を持ち上げながら、れいは松木に尋ねた。
「ううん、今日はまだ」
「そうですか。まあ、時季が時季ですしね」
「言えてる。これから夏になるからね。そしたら忙しくなるよ」
 少し脅かすように答えた松木に、れいはくすりと笑みをこぼした。そしてしっかり箱を持ち直すと、レジとは反対側にある飲み物売り場の、やはり店員用のドアへと歩いた。
 今は五月も終わりに近い時期だ。ここのコンビには少し変わっていて、普通のコンビニにはないものが売ってある。例をあげると、懐中電灯、板チョコのような、割って使う小型の炭など。虫除けスプレーも完備してある。
 それというのも、この近くには大きなキャンプ場があるからだ。キャンプ場と名がついているわけではないが、それ相応の広さの広場がある。湖畔にあるその広場は、毎年夏には色とりどりのテントで埋め尽くされるのだ。そのキャンプに来た人たちのために、このコンビにではキャンプに使えるものを置いている。時期が近くなれば、花火セットも入れる予定だ。
「よいしょっと……。暇なのもある意味大変だけど、いっぱい人来るほうがもっと大変だろうなあ」
 箱の中から商品を出し、種類別に棚に置いていく。今はさっぱり売れないが、もう少しでこの棚はがらんどうになるだろう。
 その後も、表に出ている商品の整理や、レジも少しやった。近所の人が数人来たのだ。だが近所なので、炭や懐中電灯など、大きいものは買わない。それでも、れいは嬉しかった。
「れいちゃん、今日はもう帰ってもいいよ」
 コンビニに来て、まだ三時間ほどだ。れいが来たのは一時ごろ。なので、四時を過ぎたばかりだ。突然の松木の声に、れいは驚きを隠せなかった。
「え? だって、あたしいつも六時まで……」
「まあそうだけどね。だってこんな風に人来ないんじゃ、つまんないでしょ? それにれいちゃん、そろそろテストでしょ」
「まあ、それはそうですけど……」
 この辺りはあまり人が住んでないので、かなり個人的なことも広まってしまう。もちろんその大半は、悪い事ではないが。
「人が来る時期なら別だけど、この状態じゃあ、働きにもなんないよ。今日はもう切り上げていいよ。どうせ六時までいたって同じことだし。休むのもよし、勉強するもよし。大丈夫、バイト代は下げないから」
「え!? いえ、あの、バイト代が心配なわけじゃ…………そっ、それにだめですよ働いてないのに! バイト代下げてもらったってかまいませんから!」
「またまた~、れいちゃんの悪い癖。人の好意はもらっとくもんだよ。さ、いいから今日は帰りなさい。その代わり、花火が入る頃にはうんと働いてもらうから」
「……あ、そういうことでしたら……。そ、それじゃあ今日は失礼します」
 今回の休暇が有給という形ではないと解釈して、れいは安心した。彼女の性格上、そういったことには敏感なのだ。
 手早く着替えを済ませ、れいは松木にあいさつをすると、コンビニを後にした。日が長くなっているため、まだ太陽は夕日には程遠い。ふと、れいは自分がコンビニに来た道とは反対側の、岩壁を見た。
 はるか上空までそびえる岩壁は、この近くの山々の一部だろう。道が開けているとはいえ、ここ一帯が山沿いであることに変わりはない。その岩壁のところどころに、大きな穴が開いている。最初、れいは防空壕かと思ったが、こんな山奥まで空襲が来るだろうか、という考えが浮かび、防空壕案は消えた。なら、やはり自然に開いたものなのだろうか。それともずっと昔、あの岩壁から何かが採れていたのか。どちらにしろ、あの穴全てには、立ち入り禁止のテープが貼られている。
 その岩壁の奥には、目を見張るような豪邸が、なぜかある。大富豪の家なのは間違いないが、なぜこんなへんぴな所に建てるのか、れいにはわからなかった。街で成功した企業の社長だとか、そういう話は聞いた事があるが。
「……でもまあ、覗くぐらいなら怒られないよね」
 自身に言い聞かせるように呟くと、れいは穴へと足を運んだ。豪邸を覗く気など毛頭もない。この辺りに民家は少なく、車道があるぐらいだ。その車道だって、一日に通る車の数はたかが知れている。
 それでもれいが、少し人目を気にしたのは、立ち入り禁止だということもあるが、実はその穴が、れいの父が言っていた“あそこ”なのだ。
「大体さ」
 手入れされていない茂みを大またで歩きながら、れいはひとりごちた。
「誰も見て、ないんだったら、いないのと同じ、じゃんか。でも、やっぱ自分の目で、確かめないと、もやもやしていやだからなあ……っと」
 れいは、おかしなところで探究心が湧く少女だった。
「ふうっ……。どの穴なのかな、浮浪者がいるっていうの……」
 穴に入れないよう、「立入禁止」のテープが、穴をふさぐように十字に貼ってある。それは全ての穴に施されていた。れいははじから順に見ていったが、見ただけで何かがわかるというわけではない。
「手がかりもなんにもありゃしない……。……ん?」
 ふと、木のかげに隠れるようにある穴に、目がいった。縦二メートル、横も二メートルほどといったところか。そこにももちろんテープが貼ってあったが、そのテープが少しよじれているのだ。何かをひっかけたか、一度テープの端を外して、粘着部分がくっついてしまって、無理やりはがしたような。それには、他の場所のテープにはある、真新しさがなかった。
「……本当なのかな」
 れいの心に、わずかな恐怖が生まれた。
 ここまできて、れいが引き返すはずがない。身をかがめると、彼女はテープの下の隙間から、穴の中に侵入した。
「うっわ、真っ暗……。懐中電灯持って来ればよかった」
 意外と、外からの光は奥には届いていなかった。数歩進むと、そこは闇だ。足を上げずに、滑らせるようにしてゆっくりと歩く。
 真正面を向いていた目に、何かぼんやりとしたものが見えたような気がした。その時だった。
「きゃ、あ!」
 突如、足場が消えた。いや、そこは小さな崖になっていたのだ。全て黒で塗りつぶされていたため、全くわからなかった。
「いっ!……たあ…………」
 高さはそんなになかったようで、すぐにれいはしりもちをつくことになった。それでも予期せぬできごとに、痛みは光のある場所にいるときよりじわじわ伝わり、心臓も忙しく動いている。そんなれいに追い討ちをかけるように、声がした。
「誰だ」
「っ!」
 れいは悲鳴をあげたが、それは声にならなかった。引きつったような音だけが、のどを通って口から漏れた。
「またお前らか? 何を言われようと、俺はここから出ないからな」
 何やら相手は誤解しているらしい。多分れいを、この暗闇の住人をここから追い出そうとしている連中と、間違えているのだろう。
「あ、あのっ……。あたし違います」
「……? 女か。今度は色仕掛けか何かか?」
「っ……! ち、違います! あたしそういう者じゃありません! 偶然入ってきただけなんです!」
「偶然もくそもあるか。ここに俺がいるってことは、この辺に住んでいるんなら百も承知のはずだ」
 明らかに相手は、さっさとれいに消えて欲しがっているようだった。
「そうですけど……。本当かどうか確かめたくて」
「好奇心か? ならさっさと消えろ。言っておくが、俺はてこでもここを退かんからな」
 棘だらけの男の声だった。れいは少しショックを受けながらも、低い崖をよじ登った。上り終えてから、また後ろを振り返った。
「あ、あの! 何か必要なものありますか?」
「消えろ」
 必死の叫びも、情のない一言に一蹴された。れいは悲しげな目を暗闇に向け、早足で洞窟を出た。


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