その男がウィリウム・ケストナーのいる部隊に来たのは、本当に唐突だった。
「諸君。今日からこの第四部隊の指揮をすることになった、カールス・レイマン少佐だ。ダン、お前の荷も降りるぞ」
ここに駐留する全部隊の指揮をする初老の男と、見慣れない男を見て、名を呼ばれたダンはぼーっとしながらもかすかにうなずいた。まだ内容を理解しきっていないらしい。
「私からは名前だけにしておこう。詳しい自己紹介を頼むよ、レイマン君」
長身のその男は、軽く頭を下げると、一歩前に出た。少佐と呼ばれていたが、一般兵士が着る服装の上に、同色の長いコート。その上から少佐の証拠であるバッジをつけたベルトをしていれば、見ただけで分かる。
「さっきも紹介されたが、私はカールス・レイマンという。ここの部に配属された」
「失礼だが、これまでの軍隊の経験は?」
今の今まで第四部隊の指揮をしていたダンが、挙手しながら聞いた。
「ない。ここが初めてだ」
ダンだけではなく、そこにいた全部隊の指揮者以外の者は、心から驚いたに違いない。
「私はここらで失礼するよ。この部の説明は、彼にはしておいたからな」
いつも忙しい総指揮官が、新しい兵士の紹介とはいえわざわざ来るのは珍しい。小さく敬礼を残すと、足早にその場を去った。それを目で追っていたレイマンは、指揮官の姿が消えたのを確認すると、再び振り向いた。黒い短髪の、前髪だけが少し揺れた。
「……レイマンだっけか? 俺はダニエル・ウィラーだ。ダンって呼んでくれ。ロード指揮官も言ってたが、俺は今までここの部隊の指揮をやってた」
「知っている。それと、すまんが私は愛称で人の名は呼ばないようにしている。ダニエルと呼ぶがいいか」
「あ、ああ」
ダンが差し出した手をまるで握手の見本のように、しかしどこかそっけなく握りながら、レイマンは言った。ここに現れたときから無表情で、冷たい感じはないものの、もちろん温かくもなかった。呆けたようでも怒りも見受けられない。真の無の顔とはこういうものなのかと、納得してしまいそうなほどだった。
「じゃ、こっちから自己紹介しよう。ミリア」
ダンの横にいたミリア・コーナから、順に一人一人自己紹介を進めた。ウィリウムもその中に混じり、特に目立つこともなく自己紹介を終えた。
全員終わった後、見計らったようにレイマンが口を開いた。
「ロード指揮官から聞いていたんだが、この軍では各部隊の指揮官は、自分の兵に一つだけルールを守らせることができるらしいが」
「ああ、その通りだ。前の総指揮官がなんだか気まぐれに作ったらしいが、いまだに続いててな。ルール作りは義務だが、なんだっていい。俺のときは『必ず一日コップ一杯の水を飲むこと』だった」
含み笑いをするダンにつられ、何人かが小さく笑った。
「そうか。だがすまないが、私からのルールは少し難しいぞ」
「もう考えてるのか?」
ダンが少し意外そうに返した。
「この第四部隊で私が課するルールは――」
ダンには答えず、レイマンはそれを口にした。
「『絶対に人間を殺してはならない』、だ」
第四部隊は、戦争で活躍するロボットを操縦する兵士たちの中でも、精鋭が集まる部だ。今の時代では、生身の人間が戦場に出ることは少なくなってきた。攻撃されても人が死ぬことのない、遠隔操作のロボットで戦いを進めている。
そのほとんどは、カメラを標準装備している。敵地に手榴弾を打ち込むもの、銃撃音に反応して迎撃するもの、爆撃機能を備えた、攻撃兼偵察飛行機。
中でも一番第四部隊が得意としているのは、偵察と爆撃ができる飛行機、「アサシン」の操作だ。所属している兵士たちは、皆「アサシン」の平均操縦技能を持っている。
ローラー足の椅子があり、その前にはカラーの画面と、周りには数多くのボタン。そして手元には操縦桿。飛行機の操縦席を、そのまま部屋に移植したような、変わった光景が、そこには広がっている。通りかかる者のほとんどがいやでも見てしまうその部屋の中は、機械音だけが響く、珍しい静寂に包まれていた。
「……人を、殺すな、だと?」
引きつったような顔を直せないまま、ダンは繰り返した。わずかながら怒りの色も見える。
「少し極端すぎたな。正確には『民間人を殺すな』だ。兵士も殺さないほうがなおいいが」
レイマンは、だんだん大きくなっている怒りに全く気づいていないかのように、さらりと続けた。
「おいあんた。俺たちが今担当してる場所、どこだかわかってんのか?」
怒りは中で爆発したようだ。初対面の人物ということも忘れたのか、ダンは顔を真っ赤にしてレイマンに詰め寄った。
「俺たちは町に逃げ込んで立てこもってる標的を探してんだ! 俺たちは建物を爆破するしかない。その上で民間人も巻き込むなだと? むちゃくちゃ言うんじゃねえ、軍隊入り初めてのくせしてよ! なんでてめえなんかが少佐階級なんだ?」
……はじまった。ウィリウムは心の中でため息をついたつもりだったが、現実でも同じことをしていた。初めてこの彼を見たときは、心の底から怖くなった。それほどダンの剣幕は恐ろしいのだ。だが、今の意見にはウィリウムも納得した。民間人を巻き込まないようにするのはかなり技量がいる。建物の破片が思わぬ方向へ飛んで、人に当たってしまうかもしれない。そしてなぜ軍隊入りが初めてなのに少佐なのかは、おそらく部隊全員が思っていたろう。
レイマンは長身なので、ダンは見上げてまくし立てている。レイマンの顔は、それでも微動だにしなかった。無表情のせいか、ダンを見下ろすレイマンは、彼を見下しているようにも見えた。
「ダニエル・ウィラー、私が来た時点でこの部隊の指揮官は私だ。兵は指揮に従うものだろう? それに一言付け加えておくが、このルールを破った者には、死をもって償ってもらう」
再び全員が、ダニエルさえも凍りついた。顔の色が赤から白へ変わる。
「ルールごときで……死だと?」
その言葉に怒りはなかったが、すぐにそれが復活したことは、誰の目にも明らかだった。
「ふざけんなっ! てめえいい加減……」
とうとう殴りかかろうとしたダンを、レイマンは鮮やかにかわした。それどころか、どうやったのかさえ兵たちの目にとまらないほどの素早さで、レイマンはダンを床に叩きつけていた。背中を走っているであろう痛みも忘れたように、ダンは呆然と天井を見上げている。
「私の言ったことは本当だ。もしルールを破れば、私はためらわずに殺す。必ずだ」
何もない顔に、かすかに冷酷という名の色が浮かび上がった。
「ふん、何が人を殺すなだ。んなこと無理に決まってる」
「ダン、一応守っておいたほうがいいぜ。少佐のあの時の目、本気だった」
ぶつくさ文句を垂れ流すダンを、ウィリウムはなるべく抑えていさめた。「アサシン」の操縦席は、等間隔で並べてある。隣で偵察をする元第四部隊指揮官は、舌打ちして操縦桿を握りなおした。現指揮官は、飛行機を操縦する者たちの後ろを、じっとしていられない病人のように、何度も往復している。その目は操縦者ではなく、操縦者の前にある、「アサシン」が映し出すカメラの映像に注がれている。
「……ん、あれは標的を護衛してるやからの一人だ。前に見たことがある。ウィル、見つけたぞ」
「ああ、こっちにも映ってる。やるか?」
「もちろんだ」
ウィリウムとダンの「アサシン」は、標的がいると思われる町の上を飛行していた。二人は攻撃準備をして、先に砲撃をしたのはダンだった。ウィリウムの画面の中で、例の人物のすぐそばにあった建物が、大きく吹き飛んだ。共に灰色の煙も発生する。
「お、おい! お前ミサイル使ったのか!?」
驚いてダンを見ると、その顔は狂喜という言葉で表すのに最もふさわしい状態になっていた。ダンはいつもこうだ。人間を、同類を殺すことを一番の楽しみにしている。生活上は普通なのだが、いざ戦争に赴くと、本性が現れる。この状態のダンには、ウィリウムはいまだに慣れていなかった。もちろんこの後の出来事で、慣れる必要はなくなるのだが。
「なんだウィル、そういうお前はどうやって仕留めようとしてたんだ」
そういうダンの視線は、画面に釘付けだ。会話のために振り向くのも惜しいと思っているのか。
「お……俺は普通の銃撃で」
「馬鹿言え、そんなんじゃいつ当たるかわからねえぞ。ここは一気にどでかいのでやるべきだ。……ちっ、こいつしぶといな、まだ走ってる」
先ほどの瓦礫の雨を、なんとかしのいだらしい。土煙の中から、今標的にしている人間が走り出してきた。
「もう一発……これでどうだ!」
「待てダン! やつの向かってる方に人が!」
一回目の建物の爆撃で、ほとんどの民間人は逃げていた。だが突然のことに驚いたか、立ちすくむ影が見えたのだ。
「やつの足を止める。目の前にぶち込んでやる!」
「ダン! 見えないのか、やつの前には民間人がっ……!」
無駄だった。殺人狂と化した今のダンに、制止の言葉が聞こえるはずがなかった。
ダンのほうを向いていたウィリウムの横の、小さ目の箱の中で、二つ目の煙が上がった。
「ダン……お前……」
見たくなかった。追っていた標的は死んだだろう。だがその前にいたあの人間は?
ダンが民間人を殺すのは今までもよくあった。だが今は少佐のあのルールがある。それが余計、一体これから何が起こるのだろうかと、恐怖をあおった。
聞きなれたはずの靴音が、妙に響いた。ウィリウムたちの後ろに、レイマンがいた。
「少佐……」
自分が殺したわけでもないのに、ウィリウムはおびえたようにレイマンを見上げた。レイマンは少佐と呼ばれたからか、ウィリウムを見たが、その目はすぐ隣の殺人者に移った。
「よっし! やったぞウィル! 今ので確実に護衛の一人は消えた! そういややつの前に一人いたが、あれも兵士だったか?」
「違う……。ダン、あれは民間人だった」
体を横にしているため、レイマンは顔を上げればすぐ視界に入る位置にいる。それをウィリウムは避けたかった。この言葉を言うのも怖い。いつの間にか、二人から顔を隠すように、首をうなだれていた。
「民間人だったのか? まあいい。逃げなかったほうが悪いんだからな」
「っ、違う! あの人はお前の爆撃に驚いて、それで足が――」
ウィリウムの叫びは途中で止まった。ダンの頭上に、無機質な何かが現れていたからだ。それを見たとき、ウィリウムには正体がわかっていた。だがあまりにも突然すぎて、存在を認めたくなかっただけだった。
「お前はルールを破った。死をもって償えと、私は言った」
その言葉の最後と同時に、にぶい銃声が響いた。ダンの体が跳ねた。レイマンが、後頭部寄りの頭頂に押し当てていた銃口をそこから離すと、ダンは糸を切られた人形のように、操縦桿のほうへ倒れこみそうになった。レイマンがその寸前に、ダンの体を後ろから手を回して支え、そのまま床へと放り投げた。頭部から流れ出る血液と脳髄液が、薄汚れた地面に広がっていった。
「少佐、あなた……!」
何が起こったのか、一瞬だけわからなかった。すぐにわかったのは、ダンは死んだということだ。
「見ればわかるだろう、ウィリウム・ケストナー。頭頂部から延髄を破壊した。ダニエルはルールを破ったからな。その場合の制裁も言ってあったはずだ」
簡単に延髄を破壊したとは言うが、いくら至近距離でも、そう楽に延髄を狙えるものではない。このレイマンの銃の腕は、かなり高いものなのだ。
「ダッ……ダン!?」
周りの仲間が集まってきた。この場で銃を手にしているのはレイマンただ一人。そしてダンが一発の銃弾で死んでいるのを見れば、ダンがルールを破り、レイマンが宣言通り死をもって償わせたのは明白だった。
「言ったろう。必ず殺すと」
以後、この駐留軍隊で初めて、自分の部隊の兵を殺した指揮官として名をはせるカールス・レイマンの顔は、やはり無だった。
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