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血竜【1】

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 前から噂には聞いていたが、やはり番号で呼ばれるのは嫌な感じだ。この刑務所に入ってから、名が〈812〉になった彼は、もやもやした気分で廊下を歩いていた。いまだ手錠は外されず、脇には看守付きの状態で。
「お前の部屋はあそこだ。一番端のな」
 伏せがちだった顔を、〈812〉は上げた。自分の右手側の奥に、空っぽの牢獄があった。上部についたプレートには812と書かれていた。そうか、入ったときにつけられる番号の名は、部屋の番号と同じなのか、と〈812〉は思った。
「向かいのやつはいないからな。話し相手は隣か……。ああ、おい〈811〉。今日からのお隣さんだ」
 隣の〈811〉は、柵に背をあずけ、顔は見えなかった。看守の声に、面倒そうに顔を見せた。無造作に伸びた髪のせいで、顔の上半分がほとんど隠れていたが、そこから覗いた鋭い眼光は、明らかに看守を捉えていた。
「ったく……。毎回顔あわせるたびににらまなくてもいいだろう」
 看守が焦りを隠すように頬をかくと、〈811〉はうって変わって楽しそうな笑みを浮かべた。
「あんたのその困ったような態度がおもしれーのよ。あんたが新入りか。よっぽどのことをしたんだろうが、何した? 女襲って殺しまくったか? それとも女じゃなくて野郎か?」
 そこまで言うと、〈811〉は大声で笑いたいのを押し込めたように、喉で笑った。呆然となった〈812〉に、看守は深いため息のあと、告げた。
「こいつはこういう話が好きなんだ。ほとんど冗談だからあまり気にするなよ」
「ほとんど、ってところがミソだな。たまに冗談じゃないときもあるから気をつけろよ」
〈811〉はまた笑った。これも冗談だろうか。
「顔、よく見せろよ。話し相手とはいえ、どっちかが死に行くまで見れないんだからよ」
「……! 〈812〉、こいつには近づく……」
 指で、こちらに来るようにというしぐさを見て、〈812〉は一歩進んだ。それを看守が制しようとしたが、〈811〉のほうが一足早かった。柵の間から素早く伸びた腕が、〈812〉の腹の辺りのシャツを掴み、柵に押し付けた。あまりの力強さに〈812〉の膝はすぐに折れた。
 柵に叩きつけられた痛みで、〈812〉は一瞬目を閉じたが、すぐに開いた。感じたことのない気配が、すぐ前にあったからだ。見ると牢獄の〈811〉がもう片方の腕を振り上げ、その指を立てていた。まるで何かを引き裂こうとするかのように。
「〈811〉、やめろ!」
 何かを思い切り叩く音の直後、〈812〉は解放された。今までシャツを掴んでいた腕が、手首に赤い跡を残して、引っ込んでいった。
「いい加減治らないのか、それは」
「治してほしいんだったら、女の囚人一晩貸せよ」
 笑って言うので、これも冗談だろう。
「さあ、お前の部屋だ」
 手錠を外し、看守は〈812〉を牢獄へと入れた。扉の閉まる音が、長い廊下と高い天井にこだました。


「おーい、お隣さん」
 しばらくして、部屋を仕切っている壁がこつん、と二度鳴った。随分と薄い壁だ。
「何です?」
「お前さ、ここのならわしって知ってるか?」
「は?」
 知っているわけがない。
「知らないか。看守が教えるわけないしな」
 小さく笑って、〈811〉は続けた。
「ここでは、俺たちに名はない。数字の羅列だけだ。そして名を教えあってはいけない。変な規則作りやがる。それでな、名前教えちゃいけないっていうんなら、あだ名をつけようってことになってるんだ。俺はまだあだ名はない。でもここに来て三年は経ってる。なんでだかわかるか?」
「いや……」
〈812〉は、少し考えをめぐらせたが、それらしい理由は思い浮かばなかった。もっとも、深く考えれば出てきたのだろうが。
「じゃあ種明かしだ。俺は裁判だの何だのでずっとここにいるが、他のやつらはなぜかさっさと刑が決まっちまう。ここからすぐいなくなるんだから、もちろん死刑だ。それであだ名を決め合う暇もないってわけよ。多分今回も、あんたが先にいなくなっちまうんだろうなあ」
 最後は笑いを含んだ声だった。しかし〈812〉は、そこにかすかな諦めのような、悲しみのような感情を感じた。
「気の毒だな、あんた。まるで……」
 言おうとして、〈812〉は口をふさいだ。気に障ると思ったのだ。しかしそんな〈812〉を見ていたかのように、〈811〉は勝手に続きを作った。
「死神みたい、だろ? 看守にはそう呼ばれてる。だから俺は公式のあだ名とは認めてない。なあ、あんたよ」
 声が少し大きくなった。今まで虚空に喋っていたのを、壁に向けなおしたのだろう。〈812〉は反射的に「何だ?」と聞き返していた。
「あだ名、つけてくれ」
「わかったよ」
 まるでガキをあやしてるみたいな口調だな、と〈812〉は思った。


「さーて、あんた暇だろ?」
 ベッドに横になっていた〈812〉は、壁から聞こえてきた隣人の声に、目を開けた。
「ああ、暇だから寝ようと思ってた」
「夜でもねーのに寝ると、生活リズム崩れちまうぞ。ここは俺が一つ、話をしてやる」
「話?」
〈812〉は半身を起こした。彼は人の話を聞くのが好きだった。たとえ与太話でも、怪談話でも。
「じゃ、いくぜ。ある殺人者の話だ」
「ほお」
 相手には見えないのに、〈812〉はつい身を乗り出していた。
「数年前、ある場所にある男がいた。かなりの優等生で、将来有望な学生だった」
「そういうやつに限って、何かある」
「当たりだ。そいつはあんまり頭がいいもんで、クラスの男子によくいじめられてた。そいつはその時は何も言わず、言ってやりたいことは全部心ん中に押し込んでいたんだ」
「まあ、大抵がそうだな」
 こいつが、いじめてた側なんだろう。〈812〉は考えを巡らせた。
「いじめに耐えられるやつは、心が広い。そしてその心に詰め込んだ嫌なことを、自然と消化できるんだ。でもそいつには広い心はあっても、消化能力がなかった。嫌なことを溢れさせるきっかけをつくったのは、いじめてるやつの一人だった」
「何をしたんだ? 優等生は」
 ここからがおもしろいとでも言うように、壁の向こうの〈811〉は鼻で笑い、続けた。
「いじめ野郎の一人が、優等生の家に来たんだ。そいつは家に親がいないのを知ってて、勝手に二階の優等生の部屋まで上がりこんできた。部屋を見て、また新たにいじめのネタでも見つけてやろうと思ったんだろう。優等生はもちろん抵抗した。でもよ、優等生ってのは力が弱いって、大体決まってる。その優等生も例外じゃなく、あっさりぶっ倒されちまった。そこに調子に乗ったいじめ野郎が、結構ひどい罵声を浴びせたんだ。そんなにへなへなで、お前女なんじゃねえの? とか、こんなに整理されてて、気味がわりいとか。それで、プツンときたわけだ」
「整理されてたってのは、部屋がか?」
「そう。優等生が誇れることの一つだった。それをけなされたんだ」
 そう言った〈811〉の声はそれまでと違い陽気ではなく、いたわるような色があった。しかし、それも続きの言葉には既に含まれていなかった。
「馬鹿力ってのは、何もピンチになったときしか出ないってわけじゃないんだぜ。優等生はその時、馬鹿力を発揮した。いじめ野郎に掴みかかって、床に叩きつけて、上から腹に、思いっきり拳をめり込ませた。咳き込むいじめ野郎を見下ろして、“僕も男だからね、これくらいはできるよ”って言った。かっこいいよなー」
「笑うところか? そこ……」
〈812〉は笑みを浮かべながらも、少々あきれて呟いた。
「我慢の限界に達していた優等生は、今まで力を制限されていた暴力者みたいに、いじめ野郎を殴り続けた。ま、実際制限されてたに等しいんだろうな。痣だらけになって動きの鈍くなったところに、優等生は引き出しからカッターを取り出した。そして」
「刺したのか……?」
「当たり。カッターを持った優等生を見て、いじめ野郎は本気で驚いて、恐怖感を抱いた。そしてありったけの力を足に込めて、外へ出ようとしたんだ。でも、もう優等生じゃなくなった優等生に、背を見せたのが間違いだった。元優等生はカッターを握り締めて、その背中を思いっきり」
 凝視していた壁が、突然向こうから叩かれ鈍い音を発した。
「刺した」
「……すぐ死んだのか」
「いや、まさか。いじめ野郎は叫んだ。それがうるさかったんだろうな、元優等生はまた刺した。刺すたびに大きくなっていた声も、だんだん小さくなっていった。いじめ野郎がぐったりして動かなくなったのを見たとき、元優等生は自分が殺人を犯したのを実感した」
「それで、捕まったのか?」
「元優等生はそこで大人しく捕まるようなやつじゃなかった。どんなに隠しても逃げても、いずれ逮捕されることは目に見えていた。だから元優等生は逆に考えた。どうせ捕まると決まっているなら、捕まるまでに憎いやつを殺してしまおう、ってな」
「もう、壊れてたんだな」
「確かに頭は使ってたな。でも犯罪を重ねることで、罪が重くなるということに関しては、すっかり頭から消えていた」
 少しかわいそうだ、と〈812〉は思った。一つ小さな能力が欠けているだけで、なりたくもない犯罪者になったのだから。
「で、殺したのか?」
「殺した。なるべく足どりがつかないよう、素早く殺した。夜になりそうだった時間帯を使って、学校に忍び込んでいじめたやつらの住所を知った。ピッキングなんてきれいな手は使ってない。どうせばれることだからな。家に押しかけて、親に顔を見られてもおかまいなしだ。とにかく、信じられないくらいの速さで、元優等生は殺し続けた。ようやく捕まったのは、九人目を殺す直前だった。警官に押さえつけられて、逮捕。そん時の元優等生と言ったら、まるで化け物みたいだったっていうぜ。その後の裁判じゃ、そいつが元優等生だったこと、殺されたやつらがその元優等生をいじめていたやつだと判明したこととかが絡んで、判決は長い間うやむやだ」
 ふう、と息を吐き、〈811〉は続けた。
「そいつは未だに、刑務所に突っ込まれてる。面影を完全に失くしてな。自分のことも“俺”と呼んで、女のことばっか考えて、いじめたやつらの誰かに、ほんの少し顔が似ているだけでぶっ殺したくなる衝動に駆られるような、とんでもないやつとして生きている」
〈812〉は、自分が呆然としているのを感じた。だがすぐ口元に笑みを作ると、今度は自分から切り出した。
「なかなかおもしろい話だったよ。お返しに、俺からも話をしてやる」
「お、嬉しいな。俺いっつも話してやる側ばっかだったからよ」
〈812〉は一息つくと、ゆっくりと語りだした。
「あるところに、女と男がいた。お互い小学校からの知り合いだった」
「普通だな」
「これからさ。ある時、男は女に大金を貸した。女の友人が事業を始めるって言うんで、それの援助としてだ」
「なるほど」
「でも、男は援助した金の半分すら、手元に戻ってこなかった。女の友人の事業が失敗したっていうんならまだよかった。その金は女が自分の娯楽のために使い込んでいたんだ。もちろん友人の事業なんてのは嘘っぱちで。謝ってくれたならまだよかった。でも女は、まるで本性をあらわしたかのようにころりと性格を変え、強気になって馬鹿にし始めた。簡単に騙されるのが悪い、長い付き合いだからって言ったって、お人よし過ぎる、って感じにな」
「まあ、確かにそうだが、カチンとはくるわな」
「ああ、男はカチンときた。女の部屋だったんだが、傍にあったスタンドで、女を殴り殺した。今まで裏切りらしい裏切りを知らなかった男は、女の言葉だけでぼろぼろになった。馬鹿正直にも、ずっとその女を心底信用していたのさ。そして濁った男の目には、女の家族まで女と同じように見えてきた。いつか、家族ぐるみで自分を堕とす気だと」
「被害妄想か」
「そんな感じだろうな。調度その日、女の家族は家にいた。男は殺さず、気絶させた。そして、その家を燃やした」
「殺人兼、放火か。手の込んだことやるな」
 しばらく、沈黙が降りた。
「……お互い、馬鹿で派手なことやってるんじゃねーか」
「仲良くなれるか?」
「十分だ」


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