狼の騎士

終章「狼の騎士」

<<第六章 第二節 目次

 二度目になる謁見の間は、国王を護っていた兵達の姿こそなかったが、数人の貴族が玉座への道の両側に立っていた。国王は彼しか座れぬ椅子に腰を下ろし、そこに隠れるようにひっそりと、あの法衣の男が控えている。ゲルベンスは外せない用があり、ここには出ていなかった。
 玉座に続く階段の前、人一人分の隙間を空け、二人は同時に膝を折った。座していた王は席を立つと、一段一段を踏みしめるように降りてくる。無音と同じこの空間では、靴音はさらに甲高く響いて聞こえた。
 最下部に達した王は、大貴族と青年の垂れた頭を見てから第一声を放った。
「ジュオール・ゼレセアン・ル・ウェール。立ちなさい」
 厳かなそれは、しっとりとした心地よさも伴っていた。無駄に左右に揺れないよう、ゼルは膝を伸ばして前を向いた。その眼前には、触れ合う音が聞こえてきそうな流れる金髪に囲まれ、青と緑の入り混じる瞳が輝いていた。
「此度のきみの活躍、真に大儀であった。本来ならそれに値する報奨を与えるのだが、フェルティアードがきみを騎士に召し抱えたいと申し出た。よって、貴族位第十の位の叙をもって報奨に代えることとなったのだ。不服はないかね?」
 その年齢には似合わぬ言葉遣いに、ゼルはまるで目の前の本人ではなく、別の誰かが口に合わせて喋っているのではないかと考えてしまう。そんな馬鹿みたいなことを想像していたが、彼の口にした内容を聞き流していたわけではなかった。
 国王はゼルに対し、何かしらの恩賜を検討していたようだ。だが一度で終わる賜与よりも、継続的に機会を見出せるほうが良いと判断したのだろう。それに第十位といったら、フェルティアードの言っていた通り最下の位ではない。
「陛下のお言葉に反する意はございません」
 フェルティアードとゲルベンスに、ほんの数分のあいだに叩き込まれた口上を並べ、一礼する。
 不服などあろうはずがなかった。大貴族個人で全て決めたのならまだしも、国王までもが推しているようなものだ。ここまで来て納得できない、などとふざける気もなかった。
 王はこくりと頷き、跪いたままのもう一人の名を呼んだ。
「レイオス・リアン・ノル・フェルティアード。立ちなさい」
 青い外套の男が音もなく立ち上がり、長身を露わにする。臣下に見下ろされても、王は微笑みを浮かべていた。
「この儀に立ち会えることを、心から嬉しく思っているよ、フェルティアード」
「勿体無きお言葉にございます、陛下」
 頭を下げても、男が国王より縮むことはなかった。王は温和な笑みを絶やさず、後ろに控えていた、紫の法衣の男をそっと見ようとする。その視界に彼は入り込まなかったが、これが合図だったのだろう。薄い角形の盆を両手に、彼が進み出てきた。
 盆の上には、闇を混ぜた赤色の布が膨らみを持たせて畳まれていた。王自らが形を崩さぬようその大布を取り上げる。ゼルはそれを見て、自分が羽織っている外套を脱いだ。
 ややしわが寄ってしまったが、一度しか手ほどきされなかった割にはうまくいったほうだ。小さく折り畳んだ薄汚いそれを、差し出されたフェルティアードの片手に乗せた。彼がその手を胸の前に持っていくと、ゼルが聞かされていたのと同じ文言を、国王が発した。
「ジュオール・ゼレセアン。彼の者は、これよりジルデリオン・フェルティアードの配下となる。ジルデリオン・フェルティアード。彼の者はジュオール・ゼレセアンをその身に仕えさせ、また第十の位にそぐわないと断じた際には、昇格、降格、あるいは位を剥奪する権利を有するものとする」
 空になった盆に、フェルティアードは手中の外套を収めた。平行して、王が黒い赤の布を広げる。銀の刺繍の縁取りは、ゼル達のような一般兵の外套にはありえなく、また許されない装飾だ。
 王の手から受け取ったそれで、ゼルは空っぽの背を覆った。無駄な音は立てるな。大貴族二人が、口を揃えて忠告してくれたことだ。忍ばせるように、しかし素早く肩にかける。
 ふわりと宙に浮いた外套の裾が落ち着いたところで、国王はもう一度平盆に手を伸ばした。ゼルが所持していた布の塊の脇には、隙間が空けられていた。そこから、片手に収まる程度の何かを手にしている。
 王がゼルとの間隔を詰めた。また手を握り合うわけでもないのに、あの時よりも気が張りつめていることにゼルは気付いた。なにせベレンズ王国において最高の権力を持つ青年で視界が埋まるほど、彼はすぐ前にいるのだ。彼はゼルの胸元で動く自分の手を見下ろしていて、騎士になろうとしている青年の目が、どこに留まろうかと動き回っていることなど知らないだろう。
 さほど時間を要さない式は、記憶の通りならもうすぐ終わりを迎える。王が直々に、貴族階級の証しでもある宝石を咲かせれば、あとはもう一言述べ上げるだけだ。
 細い金属が軽く重なり、楽器のように綺麗な音を奏でた。国王が身を引くと、彼の手があった場所には真新しい金具がとまっていた。銀色のそれは外套を押さえ、さらに宝石をも囲んでいる。
 白く霞んだ空の青。己に賜られた美しい石は、ゼルにそんな光景を思い浮かべさせた。
「これをもって、ジュオール・ゼレセアンを貴族位第十位、ウォールスに叙したことを認める」
 ベレンズ国王は高らかに、新たな貴族の誕生を告げる。孤高の大貴族に付く、一人の若い騎士が現れた瞬間であった。

 こうして、長い時を経て再び動き出した石狼は、もはや人々が口にしていた“国王の牙”ではなかった。
 彼は見つけたのだ。息づく身体を取り戻し、無用になった石の殻を崩解させ踏み砕き。獲物をおびやかす眼光はもうなかった。そこに映るのは獲物などではなく、押しても揺らがぬ小さな男だった。
 聖なる獣の化身と例えられ、王族を護り果敢に戦った男。そしてその男の庇護を受けた青年。
 銀狼と称された国に、男に従属した二人の貴族を、のちの人は狼の騎士と呼んだ。

 狼の騎士 了