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大海原のこころ

 私はただ驚いていた。人間突然のことに驚くと、本当に思考が止まるんだと身をもって知った。今、自分の隣で何が起こっているか分かっているのに、まるで人事のように感じる。自分の目がまっすぐ水平線を捉えているのに、すぐ横で、道路と砂浜を遮る簡単な防波堤に片足をかけ、叫んでいる友人の声が耳をつんざいているのに。五感すらテレビを通しているようだった。
 ひとしきり大声を出し切って、友人はふうと息を吐いた。波の音が戻ってきて、私はやっと現実世界に帰って来れた気がした。おそるおそる友人を見上げる。
 学校で見る彼女とは、まるで別人に見えた。それもそうだ。膝丈のスカートは無造作に捲られて斜めになっているし、そのスカートに隠れていたシャツの裾は、しわくちゃになって外に顔を出している。ノートをとるときに邪魔なんだと言って結わえていた髪の毛も、今は海風になでられていた。
「ごめんね、何も言わないで突然変なことして」
 見下ろしてきた彼女の顔は、とても明るく見えた。表情に乏しいわけじゃないのに、今の彼女は何か吹っ切れたよう笑顔だった。
「え、だ、大丈夫だよ! ちょっとびっくりしたけど……」
 言ってから、何が大丈夫なんだと恥ずかしくなった。彼女は少し可笑しそうに「ありがと」と言った。
「あの……さ、いっつもこれしてるの?」
「発声練習?」
「え、発声練習だったんだ」
「あー、そうじゃないんだけどね。勝手にそう呼んでるだけ。あたしの数少ないストレス発散法だから」
 彼女はいとも簡単に、自分の身に起こっていることをストレスと言ってのけた。そんなやわなものじゃないはずなのに。
「余計なことかもしれないけど……学校でもその格好してればいいんじゃないの?」
 学校じゃ、今の彼女みたいな服装の女子はたくさん、いや大部分を占めている。かくいう自分も、スカートは短いほうだ。
「まあ、そうかもしれないんだけどね。今更そうしたって、またあの人たちの話のネタにされるだけだよ。人がいないから今着崩してるけど、学校とか街でこんなカッコする勇気ないし」
 彼女は防波堤の上へ上がって腰掛けた。手招きされたので、私もよじ登って隣に座った。
「ねえ……。もう一年、がんばるの?」
「そうだね。あたしの学科一クラスしかないから、クラス替えないし。逃げたくないし」
 私と知り合ったとき、それはすでに始まっていたのに、彼女は一度も愚痴らしい愚痴をこぼしたことがなかった。聞いてあげたいのに。吐き出して欲しいのに。
「いやー、海は広いねえ」
「うん」
 里枝みたいだよ。
 肩を並べた友にかけようとした言葉は、海と空の交わる彼方へと溶けた。


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