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大樹と古家

『あした、あそこに来て』
「――は?」
 開けたドアの中に入っていた上靴の上には、そう一言だけ書かれた紙が、置いてあった。


「貼り紙、消えないねー」
「そう言えば」
 廊下の掲示板を通り過ぎるとき、隣にいた友達がぽつりとこぼした。機械的に相槌を返す。
「いち、にい、さん、よん…………うわ、六枚もあったよ。しかも女子ばっか」
「あんたも女子だろ」
「えー、それって心配してくれてるの?」
「そうじゃないけど」
「うわ、さりげなくひどいし」
 我ながら、楽しい友達を持ったな、と思う。
 友達――沙実の見つけた貼り紙。これは、この学校で突如行方不明になった生徒を探す、貼り紙だった。女子生徒だけが失踪するのだ。貼り紙の中の生徒の顔つきなどには、共通点は見られない。まあ僕は関係ないだろう。だって僕は――
「あっ、いた! ミツル発見!」
 廊下の向こうから走ってきた男子には見覚えがある。見覚えどころか、毎日顔をあわせているやつだ。
「ミツルー! 俺今日黒板に宿題書かなきゃなんないんだよ! 写させて!」
「やだ」
「即答すんなよ! 友達だろ!?」
 半泣き状態になりながら、秀史は僕に再び懇願した。数学の先生は、宿題を忘れるような事があれば、鬼のような説教を喰らわせる有名な先生だ。
「まあ友達だけどさ。写させるのはやだ」
「じゃ、じゃあやり方教えてくれ!」
「ならいいよ」
 秀史は馬鹿みたいに両手を上げて喜ぶと、すぐに僕の腕をつかんで走り出した。
「ちょ、ちょっと! 僕これから図書室で本借りようと思ってたのに」
「昼休み終わっちまうだろ、そんなことしてたら! 頼むから早く教えてくれ!」
 いつでも強引だ。
「仕方ない……。沙実ー! 僕の分借りておいて!」
「りょーかい、ミツル!」
 引きずられるように走る僕に、沙実は口に両手を添えて叫び返した。


『どうして来てくれなかったんですか? これはお願いです。あそこに来て、あした。』
「…………」
 僕は、学校には結構早めに着いている。この手紙を入れてくるやつは僕よりも早く来てるのか、それとも帰り際に入れるのか。大体、来て欲しいところが『あそこ』だなんて、わかるはずがない。それとも、『あそこ』だけで僕がわかるような、身近な場所なんだろうか。とりあえずこの文の書き方だけでは、女子か男子かはわからない。
「もう少しわかりやすく書けよ」
 誰にともなく、僕は声に出して毒づいた。


「えー? ミツル知らないの?」
「うん。というかそんなプリクラなんか撮らないだろ」
「俺は撮るけどなあ」
「お前は変わってるから」
「ホント、さりげなくひどいこと言うよな、お前」
 沙実の手には、プリクラがぎっしり貼られた手帳があった。俗に言うプリクラ帳だ。僕はそういうものには興味はない。当たり前だ。三百円も四百円も出して、落書きができるからといえ撮るのは高すぎる。ちなみに光る色とかいう色のペンで書いたものは、その色の部分を爪でこすると、銀剥がしみたいにぼろぼろと取れることを、僕は知っている。
「結構おもしろいんだぜ? あれ」
 堂々と自分の机に座るようなやつにしては、意外な趣味だ。
「勧誘かい? 悪いけど拒否させてもらうよ」
「かーっ、おもしろくねえやつ。大体よー、お前一応――」
 一応――何と言おうとしたのか。その先は開けられたドアの音で絶たれた。
「げっ! 次数学だったのか!? というかチャイム鳴った!?」
「時間割見ろよ」
「授業のこと忘れすぎよ、秀史。チャイムならとっくに鳴ってるし。先生が珍しく遅かっただけ」
「うわああ、教えてくれよ鳴ったの! 俺まだ用意してねえ……つーかお前らすでに用意済み!?」
「「説教決定」」
 僕と沙実の声が見事に重なった。ゆっくりと教壇の前に歩いていくあの数学の先生は、自分が教室に入ってこなかった時、授業の用意をしていない生徒がいれば、すぐさまそいつに説教を喰らわす。おまけに机に座っているのだから、なおさらだ。
「おーし、授業はじめ…………ん? 秀史、なんだその格好は」
 慌てすぎて着席に至らなかったらしい。机の上に座ったまま、硬直している。
「そんなに先生に説教して欲しいか……。ここに来い!」
 この先生、説教相手の生徒を壇上に上がらせ、みんなの前で説教するのだ。秀史の説教のおかげで、授業の約半分がつぶれた。


「さてと……」
 リュックを傍らに置くと、僕は冷たい床に腰を下ろした。
 この学校に残っていられるのは、生徒も先生も七時半まで。それまで僕は、あの、靴入れに手紙を入れるやつの正体を知るため、学校に残ることにした。自分の靴入れが、一番よく見える場所に座って。本人にその気はないとしても、こちらとしては嫌な行為だ。だが……
「おーい、そこの生徒。下校時刻過ぎるぞ」
 用務のおじさんだ。結局来なかった。この人が来たってことは、この昇降口の鍵も閉められるということ。
「すいません、すぐ帰ります」
 一礼して、僕は学校を出た。なら、明日の朝一番早く来てやろう。そして、絶対に正体を暴いてやる。


「お、君は昨日の。どうしたんだい、こんな早くに」
「宿題が終わらなくて……。学校でやったほうがはかどるんで、早めに来たんです」
「にしては本当に早いねえ……。待ってなさい、今開けるから」
 用務員のおじさんってのは、大抵いい人だ。手際よく鍵を開けると、僕を先に入れてくれた。一旦自分の教室に行くと見せかけて、おじさんに見えない位置に隠れた。足音も聞こえなくなった頃、僕は昨日と同じ場所に座り込んだ。
「……ねむ」
 あくびが出た。早起きしすぎたかもしれない。まだ寒いが、眠気のほうが勝っているのがわかる。立てた自分の膝に顔が埋まる。だんだんまぶたが重くなって…………
 …………今の音は……? 靴箱の扉を開ける、金具のきしむ音。そしてそれは聞き飽きた、僕の靴箱からなる、ほかの靴箱からは鳴らない変わった金属音。そこに、あの手紙を入れるやつがいる。間違いない。
「おいあんたっ、何のつもりで僕に手紙を……っ」
 自分でも驚くほどすばやく立ち上がっていた。それなのに。
「…………え……?」
 開け放たれた僕の靴箱の扉が、虚しく鳴いた。朝日で明るくなっていたそこには、人影はなかった。


『あそこがどこだかわからない? 君もよく知っている場所なのに。私は小さい頃、君の相手をしてあげたのに』
 ますますわけがわからない。相手した? 叔父や叔母のことだろうか。でも、こんな手の凝ったことしなくても。大体、僕のことを『君』なんて呼ばないだろう。
 まあ、トイレの個室の中で読んでいてよかった。見られて秀史になんのかんのと言われたくない。
 トイレを出ると、別に頼んだ覚えはないのに秀史と沙実が立っていた。いつも彼らはこうなのだ。
「お帰りー、ミツルー」
「お帰りーって……」
 沙実はいつだって明るくて笑顔だ。明るすぎてついていけないときがある。
「ねえねえミツル、あの話聞いた?」
「あの話って?」
 教室へと戻るときは、なぜかいつも僕は真中だ。
「やっぱ噂聞いてないんだ。ほら、あたしたちの家の近くの空き地、あそこにおっきな木があるじゃん」
「ああ、あったね」
 僕ら三人の家は、近所づきあいとまではいかないが、結構近い。そして今どき珍しい、空き地があるのだ。売り地とは看板が立っているものの、その看板は僕の記憶があっていれば、十年以上は立っている。そこに、大木が立っているのだ。
「あれ、やっと切られることになったんだって」
「ホントか? あれってそういう計画立っても、結局切られないで終わってんじゃん」
「そうなのよねー。やっぱり今回もそうなるのかなあ」
 あの木は変だ。いつからか、そんな噂が流れ始めていた。理由も明かさず、木を切りに来たやつらは帰っていく。僕はそれでよかった。僕が木登りを覚えられたのは、あの木があったからだ。
「ああ、あとあそこの家も、取り壊し計画進行中だって」
「あれもか?」
 秀史が、いかにも無理だろうというような口調で言った。
 あの家というのは、誰も棲んでいない空き家のことだ。ぼろぼろのくせに、地震が起きても崩れない。ショベルカーが来ても、逆にそっちが故障を起こす。あの家も、僕たちがまだガキの頃、そんないわくつきの家とは知らずに、侵入しては遊んでいた。塀と、生い茂った木々が家を囲んでいたわりには、中は暗くなかった覚えがある。
「あたしたち昔あそこでよく遊んだけど、なーんか人の気配したよね」
「言えてるな。木と同様、あそこも無理だ」
 僕は断言した。幽霊とかそういうものを見たわけじゃないけど、普通の人間だったら、絶対そう思う。
 学校も程なく終わり、僕は一人で帰路についた。あの二人にはあったが、僕には今日部活はなかった。
「……あっち通ってみるか」
 普段は使わない道。そこに、あの木と家があった。この空き地と崩壊寸前の家は、隣同士なのだ。
 久しぶりに見た平屋の大きな、しかし豪邸とまではいかない古い家。震度二ぐらいで倒れそうなのに、この間起きた震度四の地震でも倒れなかった。ほとんど割れた窓ガラス、ほんの少し押しただけできしみそうな柱。そのくせ、屋根瓦だけは落ちずにそこにいる。
 一般的な高さの塀と、その内側に生えている小さな森のおかげで、そのほとんどは見えない。でも、柱やガラス、屋根だけは見えた。入り口の、小さな門を見る。かけられていた鍵はさび付いていて既に壊されていた。僕らが遊んでいたときには、もうこうなっていたはずだ。ただ、さびの侵食だけは続いていた。
「相変わらず……だな」
 数歩歩けば、あの大木のある空き地だ。青い葉のところどころが、茶色く見える。ここのてっぺんから見える景色が、好きだった。今は無理だろう。体がでかくなりすぎた。登ったら、枝が折れて落っこちそうだ。
 ざわざわと鳴る木の葉たちを見上げて、僕は呟いた。
「お前が……切られるわけないよな」
 この木は人の言葉を解す。なんとなくそう思った。
「なあ……。僕に手紙をよこすやつ、できれば教えて欲しいんだけど」
 言葉を解しても、返答のしようがない。聞いてから気づいた。いくら、木が何でも知っているなんて過信していたとしても、答えは得られない。
「ごめん。それじゃ」
 踵を返して、僕はその場を去った。木の葉がざわざわと揺れ、柱がきしんだ音を立てていた。


 手紙はなかった。ここのところ毎日来ていたのに。突然来なくなると、嫌な感じがする。
 珍しく、僕は授業中ぼーっとしていた。結局、あの手紙の主を知る事ができなくなった、脱力感からだろうか。まあ、あれは単なる嫌がらせとして終わらせておいたほうがいいかもしれない。そんなものを受けるほど、僕は頭がいいわけじゃないんだけど…………

〈手紙の主を私は知っている。私のところへ来い〉

 傾きかけていた頭が、弾かれたように直った。今のはなんだ? 先生の声じゃない。低い、男の声。頭の中で響いていた。でも、まったく聞き覚えがない。誰だ? 私のところへ来い? わからない。だけど、声が消えたと同時に脳裏をよぎった映像。あれは――――


 昨日と同じ道を帰った。そして、目の前にあるのはあのさび付いた門。あの時浮かんだ映像は、これだった。家が、僕を呼んだんだ。
 半開きの門に手をかけようとしたとき、何かが視界の端に映った。それは隣の空き地の木だ。いや、木じゃない。映ったのは、木の影に立っている、少年……
「嘘だよ」
 半袖短パンという、今の季節には少し寒いような格好の少年が、いた。自分と同じ年代だろうか。木の幹に寄りかかって、こちらを見ている。何が嘘なんだ?
「そいつが手紙の主を知っているっていうことさ。手紙を出したのはほかでもない、そいつさ」
「家が……手紙を?」
「正確には、家に宿ってるやつかな。そいつが、今学校で問題になってる女生徒失踪事件の犯人だ」

〈ふざけたことを……ぬかすな!〉

「!?」
 再び響いた声に、思わず頭をかかえた。学校で聞いた、あの男の声。怒りが混じってる。
「こっちへ来な。そこにいると、そいつに喰われるよ」
 少年が手を差し伸べた。それに引っ張られるように、体がふらふらとよろめきながらも、進み始める。
 おかしい。なんだか、この行動は自分の意思に反している気がする。

〈くっ……! しっかりしろ! お前は男だ、そいつについていくな!〉

「男? ふざけたことを言ってるのはどちらかな? おんぼろ家が」
 少年の目が、隣に建つ平屋に向けられた。憎悪の色がこもってるのが、目に見えてわかる。
「君もいい加減目を覚ましたらどう? ミツル…………いや」
 少年の口元が、吊り上がった。
「美智子」
 あ…………。そうだ。
 自分の服装を見た。着ているのは、規定の制服。紺色の、膝丈のスカート。ほんの少し肩につく長さの髪の毛。
“かーっ、おもしろくねえやつ。大体よー、お前一応――”
 あのときの秀史の言葉。あいつはあのあと、“女なのに”と付け加えたかったのだろう。今頃になって、理解した。
「理由は知らないけど、君は男として生活してたんだね。自分の体から目をそむけて、心の中だけで。こうして誰かが言ってやらない限り、君はずっと男だった」
 そうだ。僕は女だった。男子みたいな振る舞いをする僕に、あの二人が『ミツル』と、男子みたいなあだ名をつけたんだ。女生徒失踪事件は、全然関係なくなかった。
 ……? なら、この状況から考えて犯人は……

〈犯人はそいつなんだ! 今まで何十人と、女どもを喰ってきた! 離れろ!〉

「黙っててくれないか? 人間を喰っていかなきゃ生きられないくせに、あなたはそれをしようとしない。僕はあなたのように生やさしくないんだ。生きていくためだったら、なんだってする」
 手を差し伸べたまま、少年は浮浪者でも見るような視線を古家に送った。こいつ、僕の頭に響いてる言葉、聞こえてるんだ。
「僕はあの人喰い家から君を救おうとしてるんだ…………なんて虫のいいことはもう言わないよ。君だってもうわかっちゃったよね。あの家と僕と、どちらが悪いやつか」
 わかってる。でも、逃げろって言う脳の命令は、僕の体には届いてないみたいだ。僕自身の思考もぼーっとしてる。片隅では、逃げなきゃならないってわかってるんだけど。
「大丈夫、苦痛はないから」

〈ダメだ!〉

「あんたは…………何なの?」
「僕? 僕はね、この木、そのものだよ。人の姿を創らないと、喰えないから……」
 少年が答えた瞬間、僕の手が彼の手に触れた。体の中心にあった自分の意識が、腕を通って少年の中へ入っていくのがわかる。意識だから、まるで自分自身が腕を通っているような感覚だ。そしていつの間にか閉じていた目を開けると、その視界は少年のものだった。目の前に、倒れていく自分がいる。幽体離脱でもしているような感じだ。うまく仰向けに倒れた僕の体。眠っているようだ。
「ありがとう……。君もおいしそうだ」
 少年という器に入った僕の四方八方から、トンネルの中にいるように、声が響いた。次の瞬間、倒れている僕を囲むように、地中から細い何かが飛び出した。木の根だと、瞬間的に悟った。それが僕の体に絡みつき、信じがたい力で僕を地中へと沈めてゆく。
「な……んで…………こん……こと…………を……」
 自分の声がかすれている。地面に引き込まれてゆく体と比例するかのように。
「生きるためさ」
「い……きる…………」
 眠い、とはまた違った感覚。自分の意識が消えてゆくのがわかる。自分が、削られていく。
「生きるため。そしてそれは、未来を生きぬくためにつながる。僕は未来を生きるため、人を喰い続けるんだ。君たちが未来を行きぬくために、動物たちを喰うように」

〈貴様っ……! 美智子ーっ!〉

 消え行く自分の名を呼ぶ“家”の声は、まるで親に呼ばれるように温かくて、悲しみ満ちていた。


“家”は、女生徒の指が地中に消えたのを見ると、嗚咽を漏らした。
「憎んでいる? あなたの子供のようだった彼女を食べて」
〈ああ……〉
「でもそれは僕も同じだ。僕は彼女に木登りを教えてやった。てっぺんから見える景色の美しさを教えてやった」
〈そのツケだとでも言いたいのか……!〉
 怒りのこもった声だったが、“家”には叫ぶほどの力はないようだ。
「まあね。それもある。彼女は僕を小さい頃から知っていたから、呼びやすかった。彼女の友達も呼びやすいだろうね」
〈……!〉
「おっと、叫ぶのはもうよしたほうがいいと思うよ。あなたは人を食べたがらない。人間の精神に宿るその力さえも口にしない。そんな状態で、よくあんなに叫べたものだよ」
“木”は、己の幹に触れた。触れた部分から、その体が透けてゆく。
「あなたが僕の食事を止めるのは自由だ。あなたができるのなら、ね……」
〈私は絶対にお前を許さない……。ダイキ〉
「……どうぞ、悪あがきならご勝手に。フルヤさん」
 地の底から響いてくるような声を漏らした“家”に、見下すような視線を“木”が送ったと同時に、その姿は大木に消えていた。

 木の葉が嘲笑うように揺れ、柱が忌々しそうに音を立てていた。


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