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三人

『お前のメアド、友達に教えた。もし迷惑だったら返事くれ。』
「全然オッケー」
 西木優梨江は笑顔で呟き、携帯電話を閉じた。そのまま携帯をテーブルの上に置いて、キッチンへと向かう。彼女と彼女の友人にとって、返信するのは何か問題があるときのみなのだ。よって返事を書かなければ、それは了解の意味になる。
「ん、いい感じ」
 鍋の中のスパゲティを一本かじって、用意しておいたざるに中身をあけた。
 自作ソースでスパゲティを食べているときに、優梨江の携帯がメール着信音を鳴り響かせた。デフォルト設定のメール着信音だ。特に着信音を設定していない人からのメールだけ鳴る、優梨江にとっては懐かしい音だった。
 たった今巻いた分の麺の塊を口に入れて、優梨江は携帯を開いた。名前と電話番号が書かれた、絵文字もなく、顔文字一個しか使われていない簡素な内容だった。
「ふうん、石井君かあ……。わざわざ番号教えてくれたんだもん、こっちも教えてあげなきゃ」
 その日は、彼と彼女の仲介をした友人の話で盛り上がり、真夜中までメールは続いた。

「ねえ、やばいかもヨシ……。思い込みならそれでいいんだけど、私ストーカー……されてるかも」
『ストーカーは人のことだよユウってば。何、電柱の陰に隠れてる人がいるとか?』
「そうまさにそれ! 今までそんなのなかったのに、もう怪しい雰囲気百パーセント。鍵開けるときにチラッと下見たら、陰にかくれてはいたけどバッチリこっち見てたし!」
 電話向こうのヨシと呼ばれた友達は、まるで自分がストーカー被害にあっているかのような口調で、心底嫌そうに事の推定被害度を伝えた。
『うえー……、筋金入りじゃん。戸締りとかしっかりしなよ、隙見せたら入ってくる可能性大』
「部屋に?」
『もち』
 優梨江は大きくため息をついた。
「あーあ……。部屋ん中美少女フィギュアだらけにしたら、出てってくれるかな」
『あんたとんでもない撃退法思いつくね……』
 照れ隠しのように、優梨江は笑った。冷や汗を流しているヨシの表情が目の前に浮かぶようだ。
「まあ心当たりがないでもないんだよね……。あいつがさ、恒希が、自分の友達にメアド教えたって言ったんだ。もしかしたら……」
『可能性なくはないね。恒希に頼んで、あんたの住んでるとこ聞いたかもしんないし。とりあえず、今は用心しときな』
「わかってる。それじゃ。話聞いてくれてありがと」
 話を終わらせ、電源ボタンを押して座っていたベッドに携帯を投げ出した瞬間、電話を知らせる着信音が鳴り出した。唐突な着信音に、優梨江は思わず体を震わせた。
「びっ……くりしたあ。なんだってこんなタイミングよくなるかな」
 そろそろと手を伸ばし、番号を確認する。……見たことのないものだった。
「間違いかもしんないし……。とったほういい……よ、ね」
 そっと通話ボタンを押し、耳に当てると同時に、優梨江は相手に声をかけた。
「も、もしもし」
『…………ユリ……エ……サン…………?』
 どこからかけているのか、雑音がひどく声が途切れて聞こえた。だが相手は間違いなく、優梨江の名を確認していた。
「え……そ、そうですけど」
 嘘をつくべきかどうかわからず、優梨江は結局本当のことを言った。
『……キレイナ…………マエ、デス……ネ』
「え?」
 きれいな名前、と言ったのだろうか。しかし気味が悪い。雑音が影響しているのか、にやけた表情で物を言っているような印象を受ける。自分の名さえ名乗らない。
「あの……、どなたか知りませんが、切りますよ。用件がないのであれば」
『コン……ド……、ア……ビニ、イキマス』
 先ほどよりも聞こえが悪く、思わず耳を済ませたが、その内容がなんなのか考えついたとき、優梨江は反射的に通話を切っていた。
「何、これ……。“今度遊びに行きます”? ……来なくていいっての!」
 恐怖と怒りのせいか、その声は少し震えていた。
 優梨江はその日、電気をつけっぱなしで寝た。

『おはよー。事情はヨシから聞いた。俺のせいかもしんないから、今日ヨシと一緒にお前んち行くよ。仕事の関係で五時ぐらいに着く予定。』
「……ありがと恒希」
 安堵の息をついて、優梨江は携帯を閉じた。時計に目をやると、そろそろ四時半となる頃だ。しかしもう外は夜色に染まりつつある。
「うーん、遅いな」
 優梨江の声が呼んだように、部屋のチャイムが鳴った。
「すみませーん、宅急便でーす」
「おっ、来た!」
 待ちかねた子供のように立ち上がると、優梨江は手元に置いていたお金を取り、玄関へと駆けた。ドアを開けて荷物を玄関に置き、サインしてお金を渡す。そして嬉しそうに、さして重そうに見えない小包を両手で抱え、テーブルにどさりと置いた。
「ふふっ、侵入者撃退グッズ第一弾! 美少女フィギュア!」
 優梨江は本気で買ったらしい。
「おー、結構しっかりできてるんだねえ。かわいいじゃん。えーっと、なになに、……りゅうきょうハルヒ? ……いや絶対違うな。暗いからフリガナが……。電気電気」
 フィギュアの簡単な説明書を持ったまま、顔を上げて歩を進めようとした時だった。突然優梨江の両手首がつかまれた。
「!」
 瞬間、優梨江の全てが止まった。動きはもちろん、思考と息さえも。呼吸はゆっくりと再開されたが、力の入らなくなった手からは、小さな紙切れが落ちた。
「あそびに、きました」
 あの電話の声だった。よっぽど人間味を感じるが、やはりどこか感情の欠落した雰囲気があった。
「キレイな、名前だから、キレイな、人だと思い、ました。やっぱり、そうでした」
 声は優梨江の肩辺りから聞こえた。あの声の主は、優梨江の後ろにくっつくようにして立っているのだ。小学校ではやった死んだふりごっこの時でも、ここまで固まっていることはできなかった。優梨江は異様に早く鳴る心臓の音を感じながら、そんなことも考えていた。
「僕の家に、行きましょう。ユリエさん、これから、暇、でしょ」
「暇じゃないよ……。友達が来るんだもん」
「……じゃあ、来る前に、行きましょう」
 優梨江は目だけを精一杯動かし、時計を見た。四時三十五分過ぎ。到底間に合わない。一人でこの不審者を撃退できるとも思えない。
「さあ」
 捕まれた手首が後ろに引かれる。肘が後ろの男に当たって、鳥肌が立ったように感じた。
「あなたのこと知らないのに、行かないとだめ?」
 先ほどよりも怖くなってきていた優梨江の声は、やはり震え、早口にもなっていた。
「来たら、きっと、僕のこと、好きになります」
 こいつはだめだ。優梨江は思った。相手のことを考えず、全て自分のいいように捉え、考える。典型的なストーカーだ。
「早く、行きましょう」
 手首を掴む手が緩んだかと思うと、今度は腕が優梨江の体を包んだ。自分にしかわからないほどの短い悲鳴をあげ、本能的に体がすくむ。
「ん、鍵かけろよユウ。戸締りしろってヨシ言ったんだろ」
 救いの声は、いつもと変わらない気さくさを伴って降ってきた。
「こ、恒希……」
 幽霊でも振り返るときのように、のろのろと首を玄関に向ける。後ろの男も、優梨江と同じ方向を見ていた。
「え、ユウ?」
「…………」
 事態を飲み込めないヨシがぽつりとこぼしたが、優梨江が呼んだ恒希は無言で暗い部屋を見つめ、すぐ行動に移った。土足のまま部屋に踏み入ると、男の肩を掴み上げ、そのまま床に叩きつけたのだ。優梨江はとっさに身をよじり、椅子に倒れこんだ。
「ユウ!」
 部屋の電気をつけて、ヨシが優梨江に駆け寄った。侵入者は恒希に頬を二回ほど殴られ、うめき声をあげながら小さくうずくまった。
「ヨシ、警察呼べ」
 警察が来るまで、優梨江は固くなって、動かない侵入者を見つめていた。

「出かけるときと夜はしっかり戸締りしてたの。でも自分がいるときは、人いるんだから大丈夫だと思ってベランダの鍵開けてた。まさか宅配取りに行ってる間に入ってくるなんて思わないじゃん」
 バーに来ているというのに、そう言う優梨江の傾けているグラスにはオレンジジュースが入っている。
「いい加減酒飲めよ。弱いわけじゃねえのに」
「だってここのオレンジジュースおいしいんだもん」
 優梨江の左に座る恒希は、ため息をついてビールを飲み干した。カウンターには恒希と優梨江、そしてヨシこと芳美しか座っていなかった。
「まあ、これで実感したんじゃない? 女一人暮らしの怖さ」
「と言うより、東京の怖さ」
「それは言えてるな。ああ、お前のメアド教えた俺の友達、もう少ししたら謝罪のメール送るとよ。まさかあいつも、自分の友達がストーカーになるとは思わなかっただろうな」
 芳美はグラスから手を離し、携帯を開いた。恒希は煙草を取り出している。
「でもホントに怖かった。はあ……、女やめようかな」
「おめーな、そうころころ性別変えんな。俺らはしたくたってできねえのに」
「そうだよ、ユウはお・ん・な!」
「男だったら大丈夫だったかもしれなかったよ。東京に来るってのに、間違った選択しちゃったよ……」
「そうとも限らないんじゃない? 東京だしー」
「ヨシ、俺が居心地悪くなる」
 からかうのが楽しいのか、笑う芳美につられて優梨江も笑った。
 芳美がカクテルを飲み始め、恒希も煙草の煙をふかしはじめてできた何気ない沈黙を、優梨江は柔らかく破った。
「“俺の将来の夢は、優貴雄を守ること”」
 煙草を口に運ぼうとしていた恒希の手が止まった。
「言ってなかったかなー? こんなこと」
「……おめーが女々しすぎるから言ったんだろが。俺もガキだったけどよ」
「あー、覚えてる覚えてる! あん時さあ、みんなしてじゃあ優貴雄はお姫様だとか、恒希は騎士だって大騒ぎしたよねえ」
「……なんでんなことばっか覚えてんだよ……」
 嫌な記憶だったのか、煙草をはさむ手で頭を抱える恒希に、優梨江が提案した。
「ねえねえ、そしたらさ、やっぱ三人で住まない? もうちょっと大きい部屋借りてさ。そうすれば僕もヨシも安心だよ」
「ユウ、戻ってる」
「あ」
 芳美の突っ込みに顔を赤らめつつも、優梨江は続けた。
「ね、いいと思わない? 今日は一番広い恒希のとこに皆で泊まって、それで明日部屋探しに行こう! そうと決まったらさっそく恒希の家行こうよ!」
「恒希の腰は重いよー、ユウ。あんたが一番知ってると思ったけど?」
「…………」
 恒希は無言で、妙に長い煙草を灰皿に押し付けた。


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