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 私には妹がいる。
「ただいま、実乃」
 気がついたら、私の部屋にある押入れに、妹は閉じこもっていた。
「…………」
 相変わらず返事はない。ほとんどあたしが話してばっかだから、気にはしてないけど。このことは、母には隠してある。でも、もしかしたら知ってるのかな、お母さんも。妹のこと、何も聞いてこないから。
「実乃、コロッケ買って来たよ。食べるでしょ?」
「……うん」
 聞こえるか聞こえないかぐらいの、か細い返事。別に体力がないわけじゃない。返事するのも面倒なのだ。
「……開けるよ」
 戸を、ゆっくりと開ける。少し立て付けが悪く、戸は時々がたんと音を立てた。
「ソースいらないんだもんね。はい、置くよ」
 小さい皿にコロッケを二個置いて、そっと中に置く。中は真っ暗だ。暗闇の向こうに妹の姿は見えない。でも私にはわかる。妹はそこにいる。
 戸を閉めたあと、私もコロッケを食べた。近所にある肉屋のコロッケは、とてもおいしい。私もソースなしで食べてる。むしろないほうがおいしいと思う。
「ねえ実乃……。前話した瑠子ってやつのこと、覚えてる?」
「……うん」
 壁に寄りかかってコロッケを食べながら、私は実乃に聞いた。
「あいつね……。今日私の外靴、おっきなごみ箱に入れたんだよ。クラスに置いてあるやつじゃなくて、みんなが持ってきたゴミを入れる、あのでっかいごみ箱に。なんかだんだんエスカレートしてるんだ……。まあ、私だけじゃないけどね。被害受けてるのは。でもここまでひどいことされたのは、私が初めて」
「ふうん……」
 無視してるわけじゃない。実乃は納得してるんだ。
「みんな仕返ししたいと思ってる。でも怖くてできない。ほとんど一人でやってるんだけど、言い逃れとかもうまいし。どうすればいいのかねえ」
「……お姉ちゃん」
 ため息と共に吐き出した言葉に、実乃は珍しく声をかけてきた。ふと、戸を見る。
「お姉ちゃんは……ルコって人に…………らいたいんだよね?」
「え?」
 相変わらずのか細い声。一番肝心なところが聞こえなかった。
「“らいたい”って……。ああ、何かしてもらいたいってこと? 何て言ったの? 実乃」
「ううん、もういいよ……。コロッケありがと、お姉ちゃん」
 ごそごそと音が聞こえた。中にはタオルケットを入れてある。多分それにくるまって寝るんだろう。そっと戸を開けると、空になった皿があった。ころもの欠片が、少しあった。


「実乃……。今日おかしなことがあったの」
「何?」
 あの押入れの前に座り込むなり、私は口を開いた。
「私の外靴、ごみ箱に入れられたってのは話したよね。そしたら今日、瑠子の外靴がごみ箱に入ってたの」
 当然のように、瑠子は怒った。でも誰も、自分がやったと言う人はいなかった。いたとしても、あの剣幕じゃあ言い出せない。
「誰だろうね、そんな勇気のあることする人。でもこれからひどくなってくかもしれない。私が心配なのは、それだな……」
「……お姉ちゃん」
「ん?」
「お姉ちゃん……ホントは嬉しいんでしょ? あたしにまで隠さなくていいのに」
 心臓がどきんと鳴った。これから襲い来るかもしれない、エスカレートしたいじめを心配するあまり、心の隅に追いやられていた私の本心が、なぜ妹にわかる?
「……っ、そんなことないよ」
 もし妹が目の前にいたら、きっと額を流れる冷や汗を咎められただろう。


「みーの、いいもの買ってきたよ」
「どうしたの? すごく楽しそうだね」
 私はどさりと机にかばんを置くと、中から袋を二つ、取り出した。
「じゃーん、姉妹初、おそろい髪留め! ほら、デザイン同じだけど色違い」
 扉を開け、買ってきた髪留めを見せた。暗闇から、「あ、かわいい」と声が聞こえた。
「外で歩くことないだろうけど、おしゃれぐらいしたいでしょ? ほら」
 私は髪留めを転がした。黄色で透明の、ちょっとだけ派手な花模様の描かれた髪留めは、すぐ見えなくなった。
「どう? って言っても見えないか」
「ううん、見えなくてもいい。すごく嬉しいよ、お姉ちゃん」
 珍しく、本当に嬉しそうな声だった。妹だって女だ、おしゃれぐらいしたくなる。
「実を言うとね、最近不機嫌な瑠子が、あたしたちに自分のためにって、買い物させられたの。そのついでに買ったんだ。瑠子に感謝ってとこかな。したくないけど」
 ちょっと笑いながら言ったら、実乃も笑ったようだった。なんだか、姉としてのことをやったような、達成感みたいなものが湧き上がってきた。


「実乃。あんた、外出たの?」
「え?」
 扉の前に座ってしばらくしてから、私は話し始めた。
「なんで? あたし外が嫌いなの、お姉ちゃん知ってるじゃない」
「そうだけどね……」
 私は唾を飲み込んで、今日瑠子がみんなに言ったことを、瑠子の見たものをそのまま告げた。
「今日はね、瑠子の机の中に、画びょうが入ってたんだって。それが朝の会の時だったんだけど、そのあと全校集会があって。で、体育館から帰るとき、誰かが瑠子の手に画びょうを刺したんだって。すぐそれらしい人を見たら、それは女子で、そして、黄色で透明の、花柄模様の髪留めをしてたって……」
「……お姉ちゃん、あたしのこと疑ってるの?」
 少し悲しそうな声だった。
「……ごめん、つい……。私の周りに、それに合う特徴の人があんただけだったから。あたしの髪留めの色は…………透明だし」
 何やってるんだろ、私。実の妹を疑うなんて。
「きっと瑠子の目の間違いだよ。でも、こんなに瑠子にかかってくやつ……。クラスにいただなんて」
「…………」
 珍しく、実乃は何か言おうとして、結局黙っていた。


「実乃……。今日、瑠子が殺されかけた」
「え?」
 滅多に聞かない、実乃の本当に驚いた声だった。
「カッターで。刺されたの、瑠子が。今日はこの大雨でしょ。だから一斉下校させられたんだけど、それに混じって誰かが刺したみたい。あたし、この前のと同じ人だと思うな」
「お姉ちゃん……」
「何?」
「誰か来るよ」
 実乃のその言葉が消えた瞬間、階段を上ってくる音がした。私の知らない速さで、リズムで。ノックもなしに、部屋のドアが開けられた。
「……お前の妹がやったって?」
 いたのは、同じクラスの男子二人と、女子一人だった。三人とも、クラスでよく中心となる人だ。
 私に話しかけた男子は、振り向いた私に目線を合わせると、背に隠していた手を見せた。
 黄色で透明の、花柄の模様の髪留めを持った手を。
「……実乃」
「お姉ちゃん、違うよ」
「何が!? あれはあんたにあげたものでしょ!」
 扉の奥の妹に叫んだのは、初めてだったかもしれない。そんなにすごい剣幕だったんだろうか、妹の部屋を向いて言ったのに、三人が少し引くのがわかった。
「こいつから聞いたぜ。お前が教室で、この黄色の髪留めの話をしたって。妹に買ってやったんだってな」
「そうだよ……。やっぱり妹が、実乃がやったんだね」
「いや、誰もやったやつは見ていない。これは刺された瑠子が、走って逃げていくやつの、カバンかポケットから落ちたのを見て、拾ったんだ」
「そしたら、絶対に実乃じゃない」
「今、おばさんに少し話を聞いたよ」
 おばさん……。私のお母さんのことか。
「……なあ。瑠子を刺したのって、お前だろ?」
 ……何? こいつは今、何て言った。
「変なこと言わないで。犯人はその髪留めを落としたんでしょ。そしてその髪留めを持ってるのは実乃だよ」
 そいつは困ったような顔をした。だって、私の言ってることは間違いなんかない。
「ねえ」
 後ろにいた女子が前に出た。
「前、髪留めの話したよね。二つ買って、これは妹のだって、見せてくれたよね」
「そういえば、した」
「あんたに妹がいたって、意外だったけど……」
 見守っていた男子が、隙を見て口を開いた。
「さっきおばさんに聞いた。お前、一人っ子だろ?」
「一人っ子……? 嘘だよ、ここに妹がいるもん」
 さっきから話してるじゃない。声が、この扉の奥から聞こえてるじゃない。
「今も話してたでしょ?」
「俺らにはその声は聞こえなかった」
「実乃の声は小さいから。ねえ実乃、何か言ってよ」
「なんかばれちゃったね。お姉ちゃん、お姉ちゃんは一人っ子だよ。あたしはお姉ちゃんだもん」
「ほら! 今喋ったよ」
 ただ実乃に喋ってほしくて、その内容なんて聞いてなかった。
「……開けるぞ」
 とりあえず、問いかけになっていた。でもそう言った男子は、すでに私の横を通り過ぎ、押入れの扉に手をかけていた。
「やめて! 実乃は外が嫌いなの! 他人も嫌いなの!」
「そんな妹が、なんで瑠子を刺したんだよ」
 ……あれ?
 立ち上がって止めようとした私が、ふいに固まったのを見て、そいつは戸を開け放った。
「真っ暗だな」
 そいつは明かり代わりに携帯を開いて、中を照らした。実乃が、怖がってる。きっと。
「何かあったか?」
「これだけ」
 そいつが引っ張り出したのは、実乃が使っていた毛布だった。
「妹なんかいないぞ」
「違うよ……。逃げたんだよ、実乃は。私じゃないよ、瑠子を刺したのは。髪留めは実乃にあげたんだもん。刺したのは実乃だよ」
 私の頭には、逃げた実乃に対する怒りと、自分じゃないと言い張ることしかなかった。
「違う! 私じゃない!」
 毛布を掴んだ男子に、私は体当りをしていた。倒れはしなかった。代わりに、私の手首をもう一人の男子が掴み、体を女子が抑えた。
「瑠子に“死んでもらいたい”なんて思ってない! 私は私の髪留めを使ってたんだ、黄色いのなんか使ってない! 実乃はいるんだよ! コロッケだって食べた! 中で毛布かぶって寝る音だってした! 私じゃない、実乃だ、妹が……!」
「残念だねお姉ちゃん。今日刺したとき、あたしの振りをするのに入れてた黄色の髪留め。あれ、落とさなきゃばれなかったのに」

 が、囁いた。


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