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巻き込まれた彼の話

“泣く女”の噂がほぼ消えかけた頃、幸和はブレスレットを拾った。
 十円玉みたいに、道端に落ちていたのだ。金属でできた、なかなかおしゃれなものだ、と幸和も思った。垂れ下がるように、赤い石もついていた。本物なら、ルビーあたりだろうか。
 一つ気になったのが、ブレスレットを構成する金属の一つが大きく厚さがあり、ミニ金塊のようになっていたところだ。もちろんブレスレットの金属は銀色なので、銀塊になるのだが。
 そしてそのミニ銀塊には、「cry」と彫り込まれていた。
「泣く……? いや、泣けか?」
 消えかけていたのに、幸和の頭には“泣く女”の噂が甦っていた。

 部屋で女が泣いていた。
 泣き声で目を覚ました幸和は、その声のするほうを見たのだが、そこに女がうずくまっていたのだ。カーテンも閉め切っていて真っ暗なのに、そいつの性別までなぜわかったんだろうと気付いたのは、女を見つめて一、二分経ってからだった。
 体育座り……にも見えたが、女は両腕で両足を引き寄せ、膝に完全に顔を埋めている。それでも泣き声は、くぐもることなく幸和の耳に届いている。
 ――こいつ、幽霊だ。
 会ったこともないくせに、幸和はそう思った。その女には足があるのに、半透明でもないのに。
 女はただ泣いているだけのようなので、幸和は寝ることにした。だが消えることのない女の泣き声に寝ることができず、結局眠くなりだしたのは部屋が明るくなってからだった。

「“泣く女”が部屋に出たぁ? だってあいつ消えたじゃん」
「出たもんは出たんだよ。ずっと泣いてるんだぜ? 日が昇ったと思ったら消えてたし」
「ブレスレットに“cry”って書いてあって、それから連想なんかするから夢でも見たんでしょ。大体、人から“泣く女”の話聞くと出るっていうけど、なんでこんなに間を空けてから出なきゃいけないわけ?」
 幸和の女友達、佳枝子は容赦なかった。彼女は幽霊については半信半疑らしい。彼女の性格上、ないものはない、あるものはあるといった感じなので、幽霊はいないと信じているなら、はなっからこんな話など相手にしないのだ。
「んー、でもなあ……」
「夢だって」
 夢の声で、眠れなくなることはあるんだろうか。

 男が出た。
 立っていたとか座っていたとかではなく、ふと目を覚ました幸和の目の前に、顔があった。今どきの男のようで髪は長かった。驚いた脳に反応し、忙しくなり始めた心臓がうるさいと幸和は思ったが、また聞こえだした女の泣き声に、こっちのほうがうるさいと考えを改めた。
 ――こいつも幽霊か。多分。
 なにせ“泣く女”が、ここから見えないにしろ、すぐそこで泣いているのだ。それに全く動じないということは、この男は本当に気付いていないのか、それともあの女とグルか、どちらかだ。
「…………」
 男の口が、少し動いたようだった。目をそらしたら何かされそうで、幸和は金縛り状態だ。
「……返して、くれないか」
 遠くから聞こえてくるような、か細い声だった。何を、と問い返そうと思ったが、口にする前に思い当たった。
 あの銀のブレスレット。
「そうしないと、“泣く女”がまた出るから。あいつが……」
 顔が離れ、幸和の視界が広がった。この前と同じところに、女がいた。同じ女が。
「また出るから、って……。もう出てるじゃんか」
「返してくれるね?」
 男は、幸和の上に立っていた。だが全く重みは感じられなかった。
「返したいのはやまやまだよ。でもどうやればいいんだ。お前……幽霊……、だろ」
 幸和はやっと上体を起こした。
「大丈夫。道を作るから……」
 泣き声が途絶えた。目の前の男も消えていた。起こした背が寒い、と感じた瞬間、幸和は即座に布団をかぶった。かぶった瞬間眠れた。というよりは、気絶したのかもしれない。

 幸和の部屋はフローリングだが、そこから小さな芽がいくつも生えていた。緑色の芽は、よく見ると細い道を作っていた。かなり異質な光景に、幸和はまだ夢なんじゃないだろうかと疑ったが、窓からは遮光カーテンが防ぎきれないほどの陽光が降り注いでいる。
 ドアを開けると、道は玄関の外へ続いていた。フローリングでない玄関にどうやって芽が生えたのかはやはり疑問だったが、とりあえず外に出た。
 隣の部屋の人は、廊下に鉢植えを置いている。もちろん邪魔にならないよう、端に寄せている。玄関側ではなく、その反対側に。その鉢植えが置かれた簡単な棚に、芽の道は続いていた。そこで道は終わっているらしく、終点では芽が密集し、円を作っていた。
 幸和はそれを見た途端部屋に走って戻り、着替えてブレスレットを取り、その円の上に置くとエレベーターまで疾走した。

「で、消えてたんだ」
「そう」
 幸和は何気なくストローを回した。その拍子に音を立てて、一番上にいた氷が溶けたせいか、下に落ちた。幸和には大きな音に聞こえたが、昼近くになるレストランのざわめきに比べたら、些細なものだったろう。
「ブレスレットだけじゃなくて、芽もな。抜いたにしてはすげーきれいだった」
 もちろん鍵は閉めてた、と付け加えた幸和を見て、佳枝子は頬杖をついた。
「あーもー、なんだったっていうんだあれは」
 どっかりと二人用のソファーに寄りかかった瞬間、店内のざわめきが静かになった。集団が一つの空間内でそれぞれ話していると、たまに起こる現象だ。なぜか会話が止まった人たちが現れる、あの一瞬。自分は聴覚が鋭くなったかのようにさえ感じられる。そんな錯覚を覚えた幸和の後ろから、声が聞こえた。
「そうだ礼香、これ、やっと返してもらったよ」
 すぐに声たちは復活したが、よどみなく聞こえた後方の席の声に、幸和はつい耳をそちらに向けた。
「あ、やっと? 生身で会ったわけじゃないのに、よく伝わったねー」
「人間努力すれば何でもできるさ」
「これであいつが復活することは、まずないね」
「そうだね」
「ホント、“ドント”なんて文字しか彫られてないブレスレット、かっこよくないよー。石はきれいだけどさ。何の動詞打ち消してんのって感じ?」
「俺のも、これだけじゃ“泣く”なのか“泣け”なのかわかんないしね」
 ――どこかで聞いた台詞だな。
「あ、ソーダなくなっちゃった」
「俺持ってくるよ」
「ありがと」
 男のほうが立ち上がり、幸和たちの横を通り過ぎていった。男の背を見ていた幸和は、視線を感じて佳枝子に視線を移した。
「どしたの? ゆっきー。体こっち向いてんのに、目線はずっと後ろだったけど。何、知ってる人?」
「いや……」
 少しして、ソーダをいっぱいに入れたコップを持ったさっきの男が、戻ってきた。幸和は男を通り過ぎてその奥を見ようとしたのだが、つい目線が合ってしまった。幸和は驚いたが、相手はもっと驚いたようだった。しかし男はその表情をからかいを含んだ笑みに変え、右手に持っていたコップを左手に持ち替え、手のひらを見せ、小さくそれを振った。
 赤い石をぶら下げた銀色の金属ブレスレットが、ほんの少し音を立て、男の袖の中に消えたのを、幸和ははっきりと見た。
「ただいま」
「サンキュー。ね、さっきの続きだけど、なんであたしたちがあいつをなぐさめてやんなきゃいけないのかな」
「“Don't cry”って?」
「うん」
「仕方ないさ。それに永遠にってわけじゃない。いつかは忘れ去られて、あいつだって消えるさ」
 耳は相変わらず二人の会話を聞いていた。さっきからコップを握り締め、その中の氷を見つめている幸和に、佳枝子はおそるおそる話しかけた。
「……あのさー、見ず知らずの男に一瞬ナンパされたからって、そんなに沈まなくても」
 幸和にとってそうでなくとも、他人から見るとそう見られていたらしい。
「佳枝子、俺すぐ帰りたいんだけど」
「い、いいよ」
 佳枝子にレジを任せていた間、幸和はずっと出入り口を見つめていた。背をあの二人組に向けるためだ。ブレスレットを見た瞬間、その直前に見た顔が、一度見たことがあるものだと思い出した。暗くて詳しいところまで覚えていなかったが、輪郭や大まかな顔の作りは記憶に残っていた。
 そしてあの二人の会話。固有名詞は全く出ていなかったが、多分話題になっているのは……
「幸和、行こっか」
 人間、見ない見ないと思っているものに限って見てしまう傾向がある。幸和もその誘惑に負け、レストランを後にするちょうどその時に、振り向いてしまった。
 さっきの男が、また笑いながら、右手を振っていた。


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