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彩の華、闇に舞う

 漆黒の空に、炎の花が咲いて、散った。
「でっけーなあ、今のやつ」
「花火の音、腹まで響いたぜ」
 確かに音もすごかった。ショウの言葉に、ヒロは心の中でうなづいた。腹どころか、空気まで震えていた。
「お、さっきより高く上がるぞ」
 ヒロが身を乗り出す。巨大なしだれ柳が風に揺れるように流れていく。花火に目を奪われていると、脅かすように爆発音がすべてを揺らした。
「うわ、もう花火の音っていうより衝撃波だな」
「言えてる。花火の人達も気合入れてんのかな、やっぱ」
 そう呟いて、ショウは腰を下ろしていた土手に、空を見上げながら寝転んだ。
「だろーな。ここの花火も今年で終わりだし。職人とかこれからどうすんだろ」
 ヒロもショウに続いて、倒れこむように草に背を預けた。花火の説明か休憩時間なのか、再び花火が上がる気配はない。
「……俺、やっぱ花火師になりたい」
「はあ? まだ言ってんのかそれ。これからの時代資格どころか花火だって上げられなくなるんだぞ?」
 空を見つめたままのショウに、ヒロは首だけ向けた。ショウがずいぶん前から語っている夢なのは知っている。しかし昔と今では状況が違う。
「知ってるよ。でもさ、なんつーか、癒しみたいな感じで残んないかなって」
「一般市民は求めるだろうけど、上のやつらはそうは思わないだろうな。ここだって研究所やら基地ができるから花火ができなくなるんだ。つーことは花火なんかどうでもいいってことさ」
「国を動かす人間と、国を構成する人間の考えって合わないもんなんだな。お前は相変わらずアレか?」
 ショウの目がヒロを映した。口元には呆れたような笑みを浮かべて。
「おお、俺の将来の夢はロボットハンターよ! アンドロイドとかでもいいけどな。ま、将来つってもすぐそこだし」
「現実的でいいねえ、ヒロの夢は」
 鮮やかな色が二人を照らした。花火がまた始まったようだ。追いかけるように地震かと疑うほどの震動が伝わる。
「おー、始まった。でもよ、俺の夢ってちょいと前で言うサラリーマンになりたい、みたいなもんだぜ。ショウのほうがいいじゃねえか、医者とか文学者になりたいって感じで」
「賭けみたいなもんだよな、俺の場合。考えてみりゃ、花火の素だって取り上げられかねない」
 花火を見ていたヒロは、またショウに視線を向けた。悲しげな表情に見えたのは、花火の光で目が輝いていたからだろうか。
「……よし、じゃこうしよう。お前は花火職人になれ。俺は宣言どおりハンターになってどっかの基地に就職する」
「な、なんだよ突然」
 驚くショウに、ヒロはいたずらっぽく笑い、続けた。
「で、俺がいい具合に腕を認められるようになれば、基地の出入りとかも制限がなくなる。そしたら火薬盗んでお前にやる。んでお前はそれで花火を作って、打ち上げて、一般市民の脚光を浴びて、市民代表としていろいろやる。そうなればちっとは良くなるんじゃないか?」
「……何が?」
「…………その、政治とか世間とか、いろいろ」
 負けた。元気のない返答をしながら、ヒロは後悔した。ショウが学校でも一、二を争う秀才だということをすっかり忘れていたのだ。普通の勉強やテストはもちろん、やたら政治にも興味があり、しかも詳しい。もちろん頭の回転も速い。頭が良すぎる人は普通生活においてどこか抜けていると言われがちだが、そんなこともない。苦手や食えないものはあるだろうが、稀に見る天才に近い人間なのだ。長い付き合いのせいか、他の友達はショウを少し引く傾向にあるが、ヒロは対等に向き合っている。そのことが、ここまでヒロを喋らせてしまったのだろう。
 調度よく花火も止まってしまった。おかげでショウの表情が読めない。おそらく向こうもそうだろうが。
「そうなったらいいな」
「え」
 いつもなら「もう少し現実を考えろ」とか「無理だ」とか言うのだが、今回ばかりは違ったようだ。知らずのうちに伏せていた顔を、ヒロは弾かれたように上げた。
「武力を伴わない政治改革とかできたらいいよな。そういう人の心に語りかけるものを使ってさ。まあ、政治なんてなくなりつつあるけど」
 また花火が上がった。小さな花火が続けざまに咲いては、消えてゆく。
「こんな平和な夏休みも今年で終わりか」
 ため息交じりのショウの声は、ヒロの心に深く沈んでいった。
(あれ……)
 急に視界がぼやけた。ショウはいつの間にか半身を起こし、花火をじっと見つめている。そのショウも花火も、なにもかもがぼやけていく。
 そして、全てが暗転した。


「……なんでこんなもん見せた」
 視界はまだ暗い。だがそれは自分で目を閉じているからだということを思い出していた。辺りから聞こえる電子音やモーターのうなり声、そしてついさっきこの部屋に響き渡った、自分の頭に取り付けられていたヘルメットのようなものが落ちた音。右手にあるハンドガンの感触。これが現実だ。
「人の記憶勝手に呼び出してよ。こうすれば自分が壊されないで済むとでも考えたのか?」
 ゆっくりと目を開ける。暗く、それほど広くはない部屋は、壁を埋め尽くす無数のパネルや明滅する小さな電球で、その様子を照らし出していた。一際強い光を放つそれは目の前にあり、この部屋に入った時一瞬見たものでもあった。それがなんであるか理解した瞬間、例の機械が頭に装着されてしまっていた。
 巨大なカプセル。その下部からは生体維持に必要と思われる、目が覚めるような青い光が内部を照らし、カプセル内に満たされた液体はその色に染まっている。青い光と液体によって、この中の生体は生き長らえているのだ。
 その生体の胸から下はなく、機械とケーブルに変化していた。ケーブルは複雑に絡み合い、太い一本がカプセルの底に接続されている。そこから必要なエネルギーを供給されているらしい。両腕はそれぞれ左右に伸ばされ、手はカプセルに隣接し、入り口側の壁まで広がる機械に埋まっていた。液体に揺れる短い髪の間からは細いケーブルが何本か覗き、カプセル上部に繋がっている。一本に束ねられたケーブルは天井を突き抜けているようで、おそらくこの基地のあらゆる監視カメラや防御装置に直結しているのだろう。
「機械に人間の心があればこれに勝るものはない……か。とんでもねえもん造りやがるぜ」
 まるで不恰好な十字のはりつけにされているような、かろうじて人間であるその男は、ただ眠り続けているだけのように見えた。
「なあ。花火はどうしたんだよ、ショウ」
 機械に囲まれたショウは、何の反応も見せない。意気消沈した声は、微塵も届いていないようだった。
「……いるわけないか。こうなっちまえばな」
 苦笑いを残し、吐き捨てながら下を向く。それを待っていたかのように、壁や天井で固まっていた防衛装置が動き出した。全ての機器が、照準を侵入者に――ヒロに合わせる。
 レーザーが一斉に火を噴いた。当たれば人体など一瞬で焼け落ちるほどの威力。しかし目標地点にはヒロの姿はなく、床を穿つだけだった。
「ほお、自滅はしないようにしてんだな」
 集中砲火を浴びた床は、全くの無傷だった。装置が再び狙いをつける隙に、ヒロはレーザー銃を一機破壊した。
「おい、聞こえてんだろ?」
 避けられない攻撃は手首に取り付けた簡易シールドで防ぎながら、ヒロは叫んだ。
「なんだってあんなもん見せたんだ? マザーコンピューター殿」
 レーザー銃がまた一機粉砕された。
「ショウの頭脳と機械の頭脳が合わされば最強になると考えたんだろう。だがどうせ無理やりさせたんだろ? ショウに。人間的な考え方だけ貰って、余計なショウの心はハッキングするみてえに封じた」
 レーザーがまた一筋消滅する。
「だが、まだ人間の心は理解しきれてないようだな。お前のおかげでこっちは大苦戦させられたが、ショウの体を生かしてるとなると、お前はまだショウを苗床にし続けなきゃならないらしい」
 最後の防衛装置が、ガラクタと化して床に投げ出された。それを見届けると、ヒロはハンドガンの銃口ををショウの額に向けた。
「機械に人間の心を理解されたらたまんねえよ。ま、一生無理だろうが。ショウがいなけりゃお前はただのポンコツコンピューターだ。俺らの敵じゃねえ」
 周りの機械が慌てたように光り輝く。
「ショウの記憶乗っ取って、俺の中からも同じ記憶引き出して命乞いだと? てめえはショウじゃねえ。ショウは死んでるんだ! もうここにはいねえ!」
 動き一つないショウの顔を苦しげに睨みつけ、ヒロはまるで自分自身を叱咤しているかのようだった。汗ばんだ右手に力を込める。その手がなぜか震えていた。
 視界の奥で、何かが動いた。
「……あ…………」
 ヒロ自身でも情けないと思うほどの声が、ぽつりともれた。
 揺らめく髪から垣間見える、光を反射するもの。
「ショウ……」
 固く閉ざされていたはずの瞼が開いていた。しかし、ただ目が開いただけで、焦点は合っていない。
 突然の変化に目を奪われていたヒロは、天井近くから聞こえる異音に気付いた。すぐ上の天井と壁の境に、小さいディプレイが並べて設置されてあり、そのうちの一つに明かりがついていたのだ。モノクロの砂嵐から抜け出した画面は薄い緑一色に染まり、わずかな間を置いて一部が黒く変色した。

『久しぶり、ヒロ。残念だけど、ヒロの姿は見えないんだ。アイカメラまでハッキングできなかった。目は開けてみたけど、こっちはもう見えてない。でも声なら聞こえるぞ。』

「……久しぶり、じゃねえよ、馬鹿野郎」
 凄んで言ってやりたかった。だがヒロは不安定な声しか出すことができなかった。親友の声なきメッセージが一旦全て消え、再び流れ始めた。

『ヒロ、こうして逆ハックしていられるのも長くない。さっきお前の記憶を引き出したのはマザーじゃない、俺だ。すぐにマザーに押し戻されちまったが、命乞いのためじゃない。あの時のことを覚えてるか知りたかったんだ。結局、夢を叶えたのはお前だったな。』

「ショウ、生きてるならまだ望みはあるぞ。手動でマザーと接続を切れないのか?」
 ショウに詰め寄るヒロの得物は、手から落ちかかってすらいた。

『無理だ。俺の思考回路の一部は既にマザーと一体化している。それに俺はこのカプセル内でないと生きられない。今の俺のハッキングがマザーに封じられれば、俺の存在も消えるだろう。これ以上、マザーを乗っ取る俺自身の脳回路はもうないからな。』

「そう、か……」
 マザーからのハッキングを避けて、なんとか自我を保存していたのだろう。そのわずかな心を、ショウはヒロと話すために使い切ろうとしている。

『ヒロ、急いだほうがいい。防衛装置を全て破壊された時点で、マザーは自爆する措置を取った。こいつに爆発まであと何分なんて馬鹿正直な機能はついてない。今は制御しているから大丈夫だが、俺が消されたらすぐにでもこの基地は吹っ飛ぶ。お前が無理しなくても、マザーは勝手に消えてくれるよ。』

 ショウ自身の顔はやはり人形のようだったが、マザーは消える、と言ったショウが、ヒロには笑っているように思えた。
「……なあ、まだ花火をあげたいって思うか?」

『それは俺への嫌味ととっていいのか、ヒロ。こんな姿で、今すぐ死んでもおかしくないやつがどうやって花火なんかつくれるんだ。』

「俺があげてやる」
 勝手に未来予想図を作り上げた時のように、ヒロはいたずらっぽい笑みを浮かべた。

『もうすぐ消えるからって、俺の夢を横取りする気なのか。大体ヒロが花火あげてどうする。』

「誰が横取りするなんて言ったよ。俺はな、お前の花火を見て、今の世界のやつらがどう思うか知りたかったんだ。お前なら綺麗な花火を作れたんだろうが。お前の分も叶えてやるってことだよ。へっ、古臭いけどな」
 先ほどの文面が消えたまま、しばらく沈黙が流れた。やっと現れたショウの言葉は、しかしひどく形を崩していた。

『 これ以上はもたないみたいだ。ヒロ、お前がやりたき ゃ好きにしろ。昔っから俺が注意したって聞かないやつだったからな 。』

「ヘマしても責任は自分で負っただろうが」
 笑顔での応答もそこまでだった。文の消えた画面は、今までのように綺麗にならず、黒い線をあちこちに残していた。その線も、だんだんと増えて画面を埋め尽くしてゆく。
「ショウ……」

『行け』

 心なしかその文字が大きく見えたのは、二文字しか描かれなかったせいだろうか。
「……っ、あばよ、ショウ。花火でどうなったか、俺が死んだら教えてやるよ」
 震動を始めた部屋の扉を開け、ヒロは一瞬だけショウを振り返った。揺れる視界のせいか、ショウの表情が変わっているように見えたが、何が違っているのか認識する前に、自動で閉じられた扉に遮られた。


「何にも変わりゃしねえのさ、こんなことしても」
「じゃあ何でする」
 後ろでつっ立っている仲間が、ならやるなと言わんばかりに問いかけた。
「したいからさ。戦いに致命的なダメージを与えない範囲での個人の自由はまだ認められてるだろ?」
「したいからってだけで、資料室に何日も居座ったり、そいつに関わったことのある年寄り無理やり探したりするか?」
「するさ。したいならな」
 最終確認を済ますと、ヒロは空を見上げた。あの時から変わらないのは、手出しのしようがないこの空だけだ。
「さーて、いっちょやりますか」
 勢いよく立ち上がり、離れた場所にある点火装置まで移動する。何度も試し打ちはしたヒロの花火の入った筒を訝しげに見て、仲間もヒロに続いた。
「ホントに上がんのか?」
「上がるさ。形までは保障しないけどな」
 スイッチの確認をして、ヒロは隣に座った仲間に声をかけた。
「花火ん時は“たまや”って言うんだぜ」
「長続きしたのは玉屋じゃなくて鍵屋の方じゃなかったのか?」
「よく知ってるな」
「花火の資料探しと作りかたに付き合わせたのは誰だよ……」
 唸る仲間をからかうように笑い、ヒロはスイッチを入れた。爆音が響く。
 漆黒の空に、炎の花が咲いて、散った。
 あまりにもいびつで情けない花火は次々に上がり、痛々しい炎しか浴びなかった人と大地が、鮮やかな色に照らし出された。


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